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薄月夜と目があいまして...

今回の帰省は最後から2回目だ。

さようなら。どうもありがとう。またね。

島のさようならは春に限らない。
各々はどこからともなくやって来て、脳内ドラマティックな者に限っては、何も言わないでいなくなる。(寂しい)
だから、よく、短いながらに心を込めて言葉にする。

もちろん、また会うつもりでいるが、人の最後はいつか分からない。なら、こまめに伝えておきたいものだ。

3年前の春、大阪の家を出た。
そのころのわたしといえば、感情をほとんどなくして、ギリギリ人道を歩いていた。
星ヶ丘地区12棟5.5階の踊り場で月を見つめる。それが中学校時代の、密かで大切な時間であった。

生きるために必死だった。
いや、生きている意味を探すのに必死だった。
幻聴たちが脳内で戦い、なにか見えない線を超えたときでさえ、本当はどこかで生きたいと思っていた。
わたしは本当に贅沢者だ。

ハイリー・センシティブ・パーソン(*)であり、限りなくいろんな情報を拾ってしまうわたしには、あの環境での、家庭や部活や人間関係を保つことは、今考えても限りなく不可能なことだったと思う。
本当に、ひとつひとつの出来事がとても痛かった。

そんなわたしは島に来てから、ちゃんと人間をしている。
心がとても自由になったし、苦しいことも噛み砕ける余裕ができた。

この間、大好きな先生に
「ここに来てよかったと思いますか。」
と、聞かれた。
「思います。」
気づけば口から出ていた。

それくらい島に来てよかった。
ここにいる人たちに出会えてよかった。

さて、高速バスの中からは、地上の気ままな"電気"という名の光が、吐きそうなほどたくさん見える。

されど薄月。少しさみしそうに青く、わたしたちのてっぺんを照らしている薄月。
「そうだ、あの時はこうだった。」
たったひとつの月だけが、マドラーとなって、わたしの記憶をくるくると混ぜてみせる。

ガラス越しの薄月夜。
はっきりとしないから、わたしはやんわりとなれる。
どれだけ多くの光があろうが、わたしをハッとさせるのは月だけ。

早く月から隠れたいと思いながら、わたしは心の中で呟いた。

目が合う"時"を大切にしたい。
大切な人に渡す"言葉"を大切にしたい。

本日の曲は

寺尾 紗穂さん 光のたましい

是非、最後まで月の下でお聴きください。

*ハイリー・センシティブ・パーソン
 =刺激に対して非常に敏感であり、
  繊細な気質を持って生まれた人のこと

ps.不快にしてしまうかも知れない部分を、少し再編集しました。

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