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なにもしない、をする

こどもの参観日で、有休をとり始まるまでの時間、朝から意味もなく道路を走ったりしている。空はきれいで、夏の頃より少し高い位置に雲が流れている。

日々、こどもと関わる仕事をしているが、右へ左へ自由気ままに走り回る彼らとは真逆で私達には恐ろしいほどフリーになる時間は無い。命を預かる仕事であるので、当たり前と言われてしまえばそれまでだけれど、本当に朝から夕方まで、密閉された箱の中にいる、といえば判るだろうか。保育室の隅っこにおいてある、カブトムシのケージに親近感を覚える。
ランチだとか、外にちょっと気分転換に行くだとか、そういう類のものに触れることなく(他の職業に対して抱いているイメージだから、そんなもん現実にはないぞと言われたらそれまでだけど)20年近くこの仕事をしている。尚、休憩時間なんてものは都市伝説だと思っている。
こんな現状を知るのは同業者か、この仕事を、離れた「元」同業者くらいではないだろうか。世間様の思う以上に保育の現場はギリギリである。こどもたちの成長や、与えてくれる一言一句や、保護者の人との関わりで得るものも沢山ある。だがこのご時世なかなかこんな閉鎖的な仕事もないのではないか、そんなことを思うことも多々ある。旧世代的なものが根強くて、世間の進化からとりのこされた島のようだ。
それでも、この仕事を嫌いになれない。仕事を始めた頃、頑張らないと来年クビになるかもしれないんだよ!やる気が大事!と言っていたちょっと怖い先輩は私より早く現場を離れていった。早いうちに職業を変えた同期の腕に光る高い腕時計。年数を重ねるうちに人はどんどん居なくなる。私はこうして、この先も仕事をかじり続けているのだろうか。箱を飛び出せば、また違う未来があったのだろうか。偉い人たちは箱の中のカブトムシに今日も最低限のゼリーと水を与えて、蓋をするだけだ。そんなことを考えながら時々不安になりながら、そんな疲弊した現場から有休を取ることに後ろめたさを感じながら今日を迎えている。

まだ街中は夏の色が影を濃く落としていて、秋は暦の上で右往左往といった状態だ。空は青い。気分がふわっとして、何もない、いつもより稲刈りの早い道路を当てもなく走る。
今日は仕事じゃないんだから、机の上の書類も、行事のあれやこれやも、今日はなにもない。たったそれだけではあるけれど。
狭いケージからよいしょ、と飛び出した自由時間。

いまわたしは「何もない」をしている。

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