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内向的女子が学生最後の思い出にバックパッカーしてきた件 ~難民キャンプ訪問~
これまでの振り返り
私たちはタイでバックパッカーになるため(?)、バンコク→アユタヤ→サメット島→メーソートと移動してきました。そしてメーソートでは、ミャンマー難民のキャンプにお邪魔させてもらうことになりました。
私たちはキャンプで日本式のカレーを作るため、スーパーTescoで食材を買って、難民キャンプへ向かいました・・・。
前回の記事はこちら↓
難民キャンプ
難民キャンプはメーソートの中心部から車で30分程離れた場所にある。
キャンプの周りには、ミャンマーの方たちが買い物をするための雑貨屋さんなどが数件あった。なんとなく、タイ人が住むメーソートの町とは区切られて、隔離されている感じがする。
私たちは難民キャンプ内の児童館のようなところに向かった。そこには20人ぐらいの子供たちがいた。皆、小学生ぐらいだろうか。
ここにいる子供たちは祖国を知らない。難民キャンプで生まれて、難民キャンプで育った子たちだ。
子供たちは元気だった。友達とふざけている子、日本人に興味深々の子、恥ずかしがりながらも物陰から覗いている子。様々だった。
ミャンマー人と日本人は似ていると思う。少しシャイで礼儀正しく、仏教への信仰心が厚い人たち。キャンプ内は落ち着いた空気が流れていた。
カレーをつくる
私達は児童館の外の作業場を借りて、カレーを作った。子供たちは最初遠巻きに見ているだけだったが、1人、また1人と、手伝ってくれる子が出てきた。
男子たちは料理もそこそこに遊びだした。カレーが出来上がるころには、子供とめちゃめちゃ仲良くなっていた。
カレーは好評だった。タイやミャンマーのカレーはスパイスを使った本格派。日本のカレーは甘すぎるかなと思ったが、たくさんおかわりしてくれた。
タナカとブレッスレット
その後は児童館で一緒に遊んだ。日本の文化を知ってもらおうと、私は折り紙持ってきていた。一緒に鶴を作ったこの女の子、アニサン(仮名)は、私にとても懐いてくれた。
アニサンは私の髪を結ったり、「タナカ」をしてくれた。「タナカ」はミャンマーの伝統的な日焼け止め兼化粧で、タナカの木をすりつぶした黄土色の粉を顔に塗ったものだ。天然の匂いなのか香料を入れているのかわからないけど、寺院で匂うようなスッとした香りがついていて、心が落ち着いた。
↑タナカをつけてる少年
別れの時、私は日本からのお土産で、アニサンに桜の柄のハンカチを渡した。すると驚いたような顔になり、慌ててお返しを探して、アニサンがつけていたブレッスレットをプレゼントしてくれた。
嬉しかった。それに、子供ながら咄嗟にお返しができるのがすごいなと思った。私が小学生の時だったら、初めて会った外国人にプレゼントをもらったとしても、恥ずかしくて、受け取るのが精一杯だっただろう。
難民への偏見
日本人は、難民キャンプ=かわいそうというイメージが植え付けられているような気がする。テレビの報道を見ると、楽しそうな難民というのはあまり見たことがない。あえて悲惨な部分だけをピックアップして報道しているんだから、仕方ないかもしれないけど。
もちろん難民であるこの子たちは、自国で暮らすよりも不自由なことや理不尽な事、不便なこと、悲しいこと、色々経験するんだと思う。この場所に生まれなかったら避けられた不幸もあったと思う。
だけどこの子たちは、自分たちのことを不幸だと思って生きているようには見えなかった。ただ自分達のあるべき場所で、一生懸命生きているだけ。楽しいことも悲しいこともあるだろうけど、それは日本人だって同じことだ。
生まれた場所でかわいそうと決めつけたり、フィルターを通して報道するのは、一生懸命生きている人たちに失礼だし、先進国のエゴなような気もする。
だけど一方で、難民の人達が支援を必要としているのも事実。そして悲惨な状況のみを伝えたほうが、支援が広がりやすいのも事実。
難しいけども、一番いいのは、1人1人が実際に難民の方に会って、それぞれが感じたことを軸に支援するのが良いんだろうな。。難しいけども。
トラックで帰る
私達は日が暮れたメーソートの町の中を、トラックの荷台に乗りながら宿に帰った。湿気を含んだタイの3月の風が、私達を撫でた。
みんな、充実した顔をしていた。私がそうであったように、それぞれに得るものがあったんだろう。
私たちは一応、難民支援のボランティアという形で1日一緒にいさせてもらった。だけどたった1日では、こちらから何か貢献できたとは思えない。
逆に私たちは、ミャンマーの方から色々学ばせてもらった。感じたことは皆違うと思うけど、少なくとも私はこの日の経験を忘れないと思う。今の仕事は国際支援とはかかわりのないものだけど、いつか何らかの形で関われたらいいなと思う。
最後までお読みくださりありがとうございました。なんだか熱く語ってしまいましたが、もしかしたら難民の子供たちと自分を重ね合わせてしまっていたかもしれません(一般的に見て「かわいそう」な境遇の子供だったので)。
難民の報道や国際支援自体が悪いと言っているわけではないので、そこはご理解いただけたら嬉しいです。
次回はいよいよタビイクメンバーと別れ、本格的なバックパッカーとしての旅が始まります。行き先はチェンマイです。また見てください!
↓タイ旅 最初の記事はこちら