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2020年2月4日
入院。
入院ファイルによると9時30分から11時までに入院受付に来るとなっている。
この頃は便利で病着というのを貸し出してくれたり、入院セット(洗面道具やタオルやティッシュ)も販売もあるので身軽に入院できるけど、道具一式とか、体が楽になったら本を読んだり、ipadで動画を観たりしようと思い荷作りしたら結構な量になってしまった。 家からS大学病院まではバスで20分ほど、そんなに混まないのでバスで行こうと思ったけど、荷物の事を考えてスマホのアプリでタクシーを呼んだ。
入院受付をする前に、院内歯科で明日の手術に向けて歯の最終チェックをする。 全身麻酔を使うので、口腔内をきれいにしていないとそこから肺炎になる可能性もあるというので、入院前にかかりつけの歯医者でクリーニングは済ませてある。 病院は違うのでなんともいえないが、数年前のSK総合病院で全身麻酔を使った手術では、事前の歯のクリーニングは言われなかったと思うし、かなり前だが、父母の癌の手術の時にも事前に歯のクリーニングの事は言われなかったと思う。
歯科チェックの後入院受付をする。 ここで、入院限度額認定書は退院するときまでに提出することを伝えた。 これがあるお陰で入院費用は最低限で抑えられる。 有難いことだ。 若い頃は健康でいられても、50歳を過ぎ60歳近くになると、命に係わる病気をすることもある。 病気がわかっても、さあお金がないぞ! 治療はどうする?? とか、せっせと貯金をしても病気治療の為に自費で治療費を払っていたんでは、あっという間にすっからかん! になってしまう。 医療が発達し先進医療と呼ばれるものが充実するのは良い事だが、お金がなくては始まらない。
「ピンピンころり! 」がいいと思いはするが、これはしっかりと人生を生き抜いた人が言う言葉であったら、それはそれでいいのではないかと思う。
しかし、人生まだあるのにと思う人が、自死ではなく、ある日突然この世から逝ってしまうということは、不本意にも逝ってしまった人、そして不本意にも看取ることになってしまった人にも大きな悔いを残すことになる。
ある時ある人が
「知り合いが入浴中に亡くなったのよ。 この人は手間をかけないように湯灌までしていったわね。。。 とみんなで感心したのよ。 」と、明るい声で話したときに、
「この人は、人が突然に自分の前から逝ってしまう悲しみがわからないひとなんだ」と、今まで親しさを感じていたその人が、それ以降全く違う人に思えるようになってしまった。
自分の一番大切な人が、ある日突然逝ってしまったら、私はその経験をした。
さて、話がだいぶずれてしまったので、戻そう。
入院病棟に入り、パジャマに着替える。
部屋は4人部屋。 4人部屋だけれども差額ベッドが生じる。 差額ベッドなしは5人部屋。 5人部屋が空いていなかったらしい。 4人部屋ベッドは放射状に並んでいるので全部の場所に窓が付いている。 5人部屋は向かい合わせなので窓側は2人だけになる。 前回入院した時はナースステーション横の重篤部屋と5人部屋だった。 そう、わたしがS大学病院に入院するのは2度目なのだ。 前回は5年前、20日に渡る緊急入院だったが、今回は7日の入院になる。
5人部屋もそうだが、S大学病院は患者と患者にはいつもカーテンで仕切りがしてあるので、部屋のトイレや洗面所ですれ違わない限りは、隣同士顔を合わせることもないし、話しかけもしないので、プライバシーも守られるので気が楽だ。 あの人にはよくお見舞いの人が来るとか来ないとか、夜がうるさいとかそういうストレスがない。 他の病院ではそこのところに気を遣うらしい。 ただ、難点と言えば、病室の西日がきつく2月なのに暑い!それで、陽が落ちると急に寒くなる。 さらに窓枠がアルミサッシときているので、窓から寒さがシンシンと伝わってくる。 ベッドに入っているから問題はないとはいえ、寒暖差は結構あったと思う。
身支度を整えた後、外来に降りて行って胸部と腹部レントゲンを撮る。 そして病室に戻り採血をして血圧体重身長を測る。 ここで発覚してしまったのは、前回の入院時より体重が12キロもオーバーしていること。 まあ、いろいろありましたから。
そして、手術用のソックスの足回りの計測。
部屋の西日がきつく部屋が暑いので、体温計測ではちょっと熱っぽい。 それでもって鼻声って? まさかの風邪? これで、手術延期になったらどうするの!! というので、一生懸命に体温を下げる。 厚手のパジャマを持ってきて失敗した。 ここで、どうして病着が薄手のものであるのか、やっと気が付いた私。 次回入院の時の為に覚えておこう!
17時20分 明日の手術の先生軍団がやってくる。 手術時間は2時間30分の予定。 それプラス麻酔の時間で、私の順番は朝イチ9時開始。
18時55分 癌治療に関するアンケート。 内容は癌に対する恐怖とか不安はないかという事だったと思う。
私はある意味達観しているところもある。 「なるようになる」と思っているから。
「なるようにしかならない」と言う人がいるけれどこの言葉は嫌いなので、使いたくない。 自分の身体の中で見つかってしまった癌が、この内視鏡治療ですべて消えてしまうのか、はたまた、どこかに種を残して数年後に芽吹くことになるのか、そんなことは治療をして何年かしてみないとわからないでしょう。 「なんで、わたしが食道癌になったんだろうか! 」という悲壮感もないかな。 しかしながら、「頑張ってこの癌に打ち勝って生きる! 」という、戦う決意というのも私にはない。
19時 消化器内科内視鏡の主治医が回診。 そこで、腫瘍は5個あると! 3個と思っていたので意外とあるじゃん! となるが、様子を見ながら3個になるか5個になるかという事らしい。 はっきりとした癌は3つ胸部食道にある。 内視鏡摘出の後遺症として食道狭窄がでてくるとステロイドの治療になるらしい。 それにしても、声がでかい先生だこと。
その頃横浜港でダイヤモンドプリンセスが寄港し、乗客が船内隔離をされていた。 ニュースを見ながら、「新型コロナが日本に上陸してしまったら大変だなあ」とくらい位にしか考えていなかった1年前、あっという間に新型コロナの猛威は全世界に広がり東京オリンピックも1年延期になった。
私の心のトンネルと同じく、新型コロナのトンネルの終わりは依然として見えてこない。
私の癌は「なるようになる」と達観してみることはできても、新型コロナのの場合は、私一人としてできることは全てしているが、肝になるところは国に任せるしかないので、私の嫌いな、「なるようにしかならない」のだろうか。