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厄年と天中殺が同時にやってきた(厄年編その2)

厄年と天中殺が同時にやってきた(厄年編その2)

指に大火傷をした日は、頭がすっかり興奮状態でなかなか寝付けませんでした。いつもなら、ベッドに入ってスマホでニュースをみたりしていたらあっという間に寝落ちするはずなのに、ニュースをみてもSNSを読んでも覚醒してました。

病院に行くだけなら、ゆっくり起きて午前の診察受付終了間際に飛び込んでもいいのですが、この日は鎌倉・美鈴での和菓子を予約してありました。病院を後回しにしてでも、まずは、美鈴にはいかねばならない、ということはできません。病院から鎌倉までの移動時間は一時間はゆうにかかる距離なので、何が何でも皮膚科はなるべく早い時間に診てもらって、その後は鎌倉について、のんびり歩きながら写真でも撮りながら美鈴で和菓子を引き取り、早めに帰宅をする。そんな算段をしました。

無理やり瞼という中々閉じてくれないシャッターを、無理やりおろした翌日、幸いにも水ぶくれは巨大化してはいましたが、破れずにいてくれました。しかし指は中指と薬指は巨大な水風船化しています。さわるとプルンプルン張りのある皮膚です。これがお顔の弾力だったらどんなに嬉しいことかしらね。でもホントまだ、指だからよかったですよ。これが足や他の部位だったらと思うと恐ろしや。

いつもだったら、そそくさと身支度を済ませられる筈なのに、水膨れを労ると日頃の何倍も指先に神経をとがらせなくてはいけません。基本私は右手つかいなので、動作も左手優先で動きを制限する右手を助けなくてはいけません。はい、これは頭のスイッチを左手用に切り替えなくてはいけないってことです。最終的にはこの左手スイッチ切り替え術は、右手の大火傷がどうにか回復の兆しを見せても続くことになるのですよ。

さて、そろりそろりと、水風船状態の右手をかばいながら病院に行きますよ。私がかかりつけにしている皮膚科はこれで4件目になる先生。まだ、この先生との相性はわかりませんが、取り敢えず今のところは問題はないようです。手に負えなくなると(原因不明ということ)になると、隣にある大学病院にすぐに紹介状を書いてくれるので非常に助かります。なんたって大学病院は私のHOME TOWNなのですから。いや、HOME TOWNにしてはいけないのですが、5つの診療科を廻り、現在2つの診療科に定期的に受診中で、去年はほぼ毎月通ったし入院もしましたし、やはり、HOME TOWN ということになるんですかね。

大学病院の話はそのくらいにしておいて、受診した皮膚科は去年の秋10月以来のこと。安藤忠雄似の先生が私の指を見るなり、

『こりゃあ、酷い!』    ああやっぱりひどいのね(私)

『いつ、やったの?』    昨日の夜、夕食作ってて斯斯然然(私)

『それにしても酷いなあ』  

この先生は、カルテに細かく手の様子と状況を書き込む、手書き派の先生です。

『水膨れがつぶれるとそこから感染症になるからね。自然に水が吸収されるまで薬をつけましょう。』

『意外と指の皮は厚くて破れにくいけど注意して、クスリを塗ったら、大きくネットでカバーしましょう。』

大火傷ですからね、暫くはかかると覚悟はしてました。子どもの頃、アイロンで小さな火傷を作って、水膨れを潰し更にかさぶたを剥がすといけないとわかってても剥がして直りを送られてしまった経験から、もう、還暦近いいいおばはんですから、そんなことはせずに、大火傷観察日記でも書いとこうなんて思いましたね。

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この様になってしまった右手を携えて、私は元気よく鎌倉へ向かったのでした。

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