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小豆のちから
おいしく焚きあがった小豆を、さっそくぜんざいとして戴く。
この瞬間は何とも言えないくらい幸せなのだ。煮えた小豆を小鍋に分けて
目分量できび砂糖を入れる。そして味を〆るために少量の塩。
餅はグリルで焼く。その方が早く焼けるし、焦げ目もいい塩梅につく。
さあ、どうだ!
今日の朝からお預けを喰らっていた私の胃袋は、どれだけ小豆を恋しこがれていることだろう。
待たせてごめんよ!
餅にもいい色が付いた、いや、ちょっと焼きすぎたか?30秒遅かったか?
コウルサイ事は言うますまい。
だって、食べるのは私一人なんだもん。誰に味付けや餅の色の付き具合なんか遠慮することがありますかいな。
お椀にぜんざいをよそい、焼いた餅を2切れのせてテーブルへ持ってゆく。
『いただきます』
餅をびよーんとのばし、ぜんざいを一口二口とすする。
あちちち。。。。。
うん?ちょっと甘さが勝ってしまった?気持ち砂糖が多かったか?
まあいい。
今は飛び跳ねて踊りまくっている味が、明日の朝になれば砂糖と小豆がお互いに絡み合って恋人同士になっていることだろう。
そんな、都合のいい推測をして、この日は、寄せては引いてゆく波の如く、ある事に悶々としながら過ごしたのだった。
そして、翌日は前日の冷たい雨も上がり、日差したっぷりの暖かな朝となった。
昨日のぜんざいを温めながら餅を焼き、
心に抱えた悶々とした問題に自問自答していた。
『緊急事態宣言中だし、今年は諦めようか?』
『来年だってコロナは収束しているかはわからないよ!』
昨日から何遍もこの繰り返しを重ねて、ちっとも結論が出やしない。
悩んでも仕方ないから、ぜんざいを食べよう。そしたらぜんざいが答えを出してくれるかもしれない、などど、全くの他力本願的な考えが脳裏に浮かぶ。
温めなおしたぜんざいに、焼き立ての餅を乗せてテーブルに運ぶ。
餅は昨日の事もあったので、ちょっと早めにガスを切りグリルの中で余熱で膨らませた。ちょうどよいではないか。ちょうどよい。
ぜんざいを口の中に流し込む。
ほうら。ね、そうでしょ、そうでしょ。
小豆と砂糖がお互いうまい塩梅にまとわりついてる。これよこれ、私が食べたかったのは。
すっかり空になったお椀を眺め、
『行くしかない!』
そう心に決めたわたしは、スマホを手に取り『美鈴』と『浜野水産』に在庫確認の電話をし、心晴れやかに家を出た。
小豆の力はなんと大きいことよ。