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厄年と天中殺が同時にやってきた(Break time)
皮膚科で一通りの処置をしてもらったあとは、前日に予約をしていたわらび餅と萩の月(おはぎのこと)を引き取りに鎌倉の美鈴へと向かう。毎月の決まりごとにしている美鈴の和菓子だが、この時ばかりは心から有難く思った。おはぎは当然の事当日中に頂くにしても、ほぼ右手が絶望的に使えない中で、左手だけで頂けるというのは何事にも代え難い有難さを感じた。
下手すれば、いた、下手しなくともご飯を作ったりそのあとの食器の片づけや、掃除洗濯ゴミ出しともろもろの事は、火傷する前と変わらずに行う必要があるはずなので、せめて、外に出た時くらいはそんな鬱々としたことは忘れたいし、人様が汗水たらし手間かけて作ってくださったものは、有難く口に入れたい。そう思った。
病院から鎌倉までの移動時間は1時間。わらび餅の引き取りはお昼過ぎと伝えてあるので、まず鎌倉に着いたら何か腹ごしらえをしなければなるまい。このような手だから、朝は軽くコーヒーだけにしたのでお腹がすいた。当時はまだ緊急事態宣言下とはいえ、混むときは混んでしまう鎌倉。ほぼ左手しか使えない状況で食べることができるものは、極めて限られてくるし、テイクアウトで外で食べるにしても持ち運びに便利なもので、しかも静かで座る場所を確保できる駅からほど近い処。。。。となれば、あそこにしようか、ならば、あそこであれを買おうかということになる。私の頭の中には、そういったストックが幸いなことにあるので、どんなに鎌倉が混雑しようが、ほぼ困ったことはない。トイレ待ちでも困らないくらいだ。トイレの場所も把握してあるってことね。
裏駅に出て、由比ガ浜通りにあるミサキドーナツを目指す為、御成商店街を歩く。30年ほど前までは小町に通りに比べると寂れた雰囲気が否めなかったが、今ではかなりお洒落になってきていつつも、昔の古い酒屋さんとかはしっかり残っている。そういう点では小町通りと一線を引く商店街で、私はどちらかというとこちらの方が好きだ。しかし、ここも時代の流れの渦にのみこまれて、閉店してゆくお店もある。
ロンディーノもその一つ。お店から江ノ電のホームが眺められ、一人でぷらっと入って本を読み、コーヒーとプリンを食べた事があった。うっかりロンディーノにカメラを忘れてしまい、確認で電話をしたらしっかり私の食べたプリンまで記憶に残されていたようで、カメラが見つかって安心するとともにちょっと気恥ずかしさも残った。昔ながらの喫茶店、喫煙OKということで、鎌倉のご老人にも愛され、裏駅の顔となるお店だった。そして紙屋・文房具のくろぬまも閉店。ここはオーナーのおじいさんがなくなってしまったのだが、ロンディーノと同じく40年以上御成でやっていたお店。わたしもここに何度かおつかいで行ったことがある。紙袋とかビニール袋とかをここに買いに行ったわけね。御成通りも昔と違い観光客の足が向き、段々とお洒落なお店が多くなると、小町と同じように家賃値上げラッシュになり、更新料がネックとなり撤退するお店も多くなって、お店の入れ替わりが激しくなったように思う。それでも、小町の混雑さに比べるとまだいい。
由比ガ浜通近くにはKIBIYAベーカリーという天然酵母を使った美味しいパン屋さんもあるが、この日は新規開拓でロティガールにした。えっ?ミサキドーナツじゃないの?って。ミサキドーナツはお昼ご飯。ロティガールは翌日のごはん。だって、私は右手がほとんど使えないから。そう、もうこの時には大怪我したことを後悔するよりも、そのことを勲章や盾にして、いかにして主婦としての仕事を最低限に抑えるかだけに頭を集中させていた。私は、私が生きるべき道として食料を確保するかに命を懸ける。それは、厄年と天中殺が同時に来た怪我が回復している今でも続いている。
ロティガール、ミサキドーナツを巡った後、妙本寺へ向かった。そう、ここは脇にベンチがあり一息付けるのだ。
まずはお参りを済ませる。すっかり鶯は上手に囀っている。今年の鶯は早かった、私の記憶が確かなら、2月中旬極楽寺の寺内で聞いたのが初めてではなかったか?梅を観ながら聞いた。
妙本寺は比企の谷戸にあるお寺。比企一族が祀られている。比企一族は北条氏に滅ぼされてしまった。そして頼家の側室の若狭の局が身を投げて自害した蛇苦止堂がある。海棠の花が見事で日蓮上人像の前の桜も頃具合よく開いている。
3月初旬に来た時にはなんとシャガの花が咲き始めていた。
谷戸ということで、緑も映え静けさと落ち着きがあるということで、よく結婚式の記念写真撮影が行われていたりする。この日も私が寺を出るころに1組撮影にタクシーで来ていた。確かに、寺でも神社でも着物姿の結婚式写真は素敵だろう。でも、私だったら、間違いなくこの妙本寺は先の理由で選ばないけど、『お幸せにね。』
私はここで、心身を落ち着かせて厄を落としたと思たんだけどなあ。。。憑いてきてしまったか。その時は気が付かなかった。事が起こってから憑かれてしまった事に気が付くのだから、まだまだ修行が足りないのかもしれない。
さて、妙本寺をあとにして、段葛に向かうとするか。鎌倉の桜のフィナーレを飾るのが段葛かもない。染井吉野だから時期としてはまだ早いだろう。
やはり、早いようで日当たりがよさそうな真ん中あたりで、1~2輪ほど開いた木を発見。
でも、それでいいのだよ、私は。最初にちょっと楚々として咲いている1~2輪、まだ仲間たちは少し水分を含んだ柔らかなベッドで眠っている、もう3~4日もすれば起きだすだろう。ちょっとしたフライング、それがいい。そして、仲間たちが起きだし賑わいを増してくなか、一足先に失礼する。その事に誰も気が付かない。ひっそりと。寂しくないかいって?そんなことないさ、静かさは十分楽しんだし、にぎわいもそこそこ楽しんだ。去る時はひっそりとがいい。あんまり賑々しく去り行くのは私の趣味じゃないんでね。なーんて桜は言わないけれど、ぽつりと咲いた桜が私に語りかけているような気がしてならないのだ。
私は段葛から外れた道に進むことにした。毎度のことになるが、美鈴に向かう途中に寄りたくなる風景がある。
この日は、もう終わりかけの大佛邸の桜を見に行く。この老木の桜と風景と町が喧騒を忘れさせるくらいいいのだ。しかし、この風景もいつまで守られるのだろうか。大佛邸は保存されるであろうが、この手入れと維持にはかなりの費用が掛かるだろう。周囲には新しい建物のあるが、既に人が入居していない建屋もある。これは、いつか取り壊されて新しいものがたつに違いない。それは、ゆずり葉のように代が変わって行くものではあるが、せめて今の私の脳裏にはこの風景を残しておきたい。そう思いながら、辻説法通りから宝戒寺横のわき道に入り、美鈴の戸を開けたのだった。