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2020年2月5日
内視鏡治療当日
7時 目が覚める。朝食はないので、歯磨きと顔を洗って準備をする。昨日の夜センノシド錠を飲んでいるので、軽い便意。
8時 手術着に着替えてソックスを履く。S大学病院ではT字帯ではなくて、Tパンツで、脇がマジックテープになっていてそこから尿管の管が出てくる。T字帯よりなんとなくだが、恥ずかしさは少ないのでいいかもしれない。T字帯って、帝王切開の手術以来かも。
血圧、体温測定などがあり、着々と準備が進んで行く。カーテンの外では配膳の準備がはじまり朝食の様子がうかがえる。昨晩9時以降から飲食は禁止、再び食事(流動食)になるのは2日後から。さて、どんな一日になるのだろうかと思っていた。
準備をしていると、娘がやってきた。
自分で手術の準備をしながら、私は思い出していた。Tが手術をした時の事を。白い血栓予防のソックスを履くのを手伝ったり、病室で着替えとか手伝ったことを思い出す。5年前の2月6日の事だった。
看護師さんが私の腕に麻酔用の針を刺そうとするが、うまく刺さらず。私の腕は看護師さん泣かせで、針が入りにくいのだ。新人の看護師さんの時はかわいそうなくらい入らない。もっとも痛いのは私だし、かわいそうなのは私なのだがね。でも、手慣れた先生にかかると、一発で入ってしまうのでこれまた不思議だけどね。
麻酔用の針は手術室に入って、麻酔科の先生にお願いするとして、お迎えが来たので、3階の手術室に向かう。手術室には職員専用のエレベーターで向かうので、他の患者さんに会うことはない。気持ちは昂ることもなく淡々としていた。「全身麻酔に落ちた時にはお花畑が見えるのだろうか?」くらいの感覚だったし、全身麻酔は、子供の頃にすっごく臭くってもがいて苦しかった記憶があるので、そうでなければよいのだと思っていたくらいだ。途中私の鼻声に気づいた手術室の看護師さんが
「風邪ですか?」と尋ねる。
朝もちょっと微熱ぽかったが、それは病室内が暖かかったからだと思っていたが、どうやらこの時私は風邪をひいてちょっと熱っぽかったようだ。これは、退院後定期検査で血液の数値のCRPが基準値より高かったのでわかったことだ。
「花粉症ですよ。町中からマスクが消えちゃって退院したらどうしましょう?」と笑って応えた。私の花粉症は、年末から実は始まっている。その年も前年の暮れからくしゃみが連発で生産され、2月にもなれば花の中は埃っぽくなり鼻くそがたまってしまう。
「なんだか、新型コロナが大変なことになりそうでね、手術室のマスクも入荷がなくって厳しいんだよ。もう、あるだけしかないんだよ。」
という会話を交わしたと思う。
私のマスクがないというのは大したことではないかもしれないが、手術室のマスクがないのは本当に大ごとで、ましてや大学病院のように毎日何件もの手術をかかえるところでは、手術ができるか否かの問題になってくる。まだ、1年前のこの時は序章に過ぎず、第3波の真っただ中のいま、そしていつやってくるのかわからない第4波もある。新型コロナの禍はこうした医療にも影響を及ぼしている。
さて、娘とは手術室の入口で別れることになる。忘れてしまったが、いくつかある手術室のうちの一つに入った。中はひんやりとしている。勿論暖房はないので、思わず身震いをした。
私は、手術台にひょいと飛び乗った。
「う~ん!5年前の体重から爆増(激増だが、笑うほど増えてしまったので爆増としておこう)した割には、身軽なもんだわ!」と、心の中で自分をほめておいた。
麻酔科の先生が右の手の甲で麻酔のラインをとる。お見事だ!
頭や体にモニター装着。
「まだ麻酔は入りませんからね・・・・」
と言われ、何度目だろう。。。。。
私は落ちたようだ。
何か夢を見ていたようだが、思い出せなかった。
お花畑は見えなかった。
起こされて、手術を受けていたと気が付くまで暫く何が起こったのかわからなかった。
のどの痛みで、「私は食道癌の内視鏡手術」を受けたのだと記憶が蘇った。
とにかく、喉と胸が痛かった。口の中に出てきた痰をだすと血がにじんでいた。
昼前には手術が終わり、ストレッチャーで病室に戻る。そして腫瘍を3つ採ったということを娘から聞いた。
お花畑も見えなかった。
T もいなかった。
私は、トロトロとひたすら眠った。