音の話だけしたい。弦楽器の繊細さや鍵盤の力強さに惹かれ続けた幼児期、和太鼓の低くて大きな音が全身に突き刺さって夢中になった児童期、合奏が大好きだった青年期、たくさんの音に夢中になったけど、楽器を触れる環境にいられなくていろいろなものをすぐに辞めないといけなかったから、本気で親に頭を下げたり千切れるくらい泣いたりした。

楽器の音を聴くことや音が鳴ることがいつもうれしくて、それなのにいつも上達へとたどり着けなくて、すべてが当たり前になって仕方がなくなってわからなくなっていったような気もする。音が出せないことは刃物で全身が切り付けられるように苦しかった。だけど、音があってうれしい気持ちだけでいい。棚や箱、金属や木が鳴る。音が鳴ることがうれしくて、それだけで本当にうれしくて、それだけなのが恥ずかしいままだ。

ピアニストになりたかった日々のわたしや、和太鼓にのめり込んだ日々のわたし、学校からテナーリコーダーを借りて、クラスメイトや家族に見られないように毎日練習していたわたし、シロフォンと小太鼓が大好きだったわたし、重たいアコーディオンに苦しめられたわたし、絶望の日々も音があれば宝物だ。音がうまく鳴らなくても、運指が覚えられなくても、たまに音が鳴ってだれかの音と重なるだけで、涙が出るくらい楽しくて苦しくてせつなくてうれしかった。体には、いつもいつまでも音があった。流れていた。音が鳴っていた。

もうなんでもよかった。音が出るならなんでもよかった。できれば、辞めさせられなければなんでもいいと思った。友達にもらったお菓子の箱もティッシュケースも楽器にした。バイオリンが弾きたかったから輪ゴムを鳴らした。ピアノが弾きたくて机を叩いた。路上のミュージシャンの演奏には足を止め、100円そこらで売ってるCDを親に土下座して買って何度も聴いた。人間の歌が苦手だったのでインスト音楽とクラシック音楽がお気に入りだった。

小学校一年生、学校に訪れた、なんだか不思議な格好で音を鳴らす集団の楽器の音が、ケーナの音が、メロディが、民族楽器の音が全身を縛って苦しくなって、何度も何度も脳内で再生されるもんだから祖母に頼み込んでCDショップに行った。演奏している人間も曲も違うが、楽器は特定できた。生音と音源は全然違う。念願のCDの音には感動しなかった。でも、好きな音楽は?と聞かれたときには「民族音楽とクラシックですかね。」と今でも答えると思う。

小学校四年生、強制的なクラブ活動、クラス単位でぞろぞろと五分ずつくらいだったか、すべてのクラブの見学をした。一覧にあった「音楽クラブ」いかにも楽器を演奏しそうなクラブに入るつもりだった。しかし、正直に言って、とんでもなく期待外れだった。CD音源を流したり、音程の合っていないピアノの伴奏に合わせてだれかが流行りの曲を歌う。がっかりした。人生で一番がっかりした瞬間がそれだ。学校を利用して楽器に触れようなんて無理だと思った。もうなんでもよかった。とりあえず室内で活動できるクラブに入れればいいやと思いながら、次の見学先へ歩き始める。角を曲がって、階段を上って、突然、音が聞こえ始めた。地鳴りのような、ドンドンと体を揺さぶるような音、近づくにつれて大きくなる音。ドキドキした。音が大きくてドキドキしたのか、胸が高鳴ったのか、そんなことは覚えていないし覚えていても何もわからない。わからないけれど、人生で一番ドキドキした瞬間がそれだ。重たいドアが開き、大きかった音がさらに大きく響き、予想を超えて体を突き抜けた。しっかり突き抜けた。ズラッと並ぶ大きな太鼓。一斉に音が鳴る。まわりの生徒が「うるせー」「なにこれ」「無理」と呟く中、もうその音が欲しくて欲しくて欲しくてたまらなくて、苦しくてうれしくて恐ろしくて感動して吐きそうだった。後のことははっきり覚えていないが、恥や葛藤や諸々を乗り越え、大きな音を出す和太鼓クラブに入部して、週に一度の触れる時間は夢中になって叩き、楽譜を抱きしめ、夏休みの集中練習ではマメをたくさん作り、小学校の夏祭りで一度発表したきり、たった半年で転校させられ辞めて終わりだ。もう自暴自棄だ。

転校先では合奏がメインの音楽クラブに入っていろいろな楽器に触れた。お気に入りはシロフォンと小太鼓。和太鼓ほどの魅力はなかったが、何種類も楽器を演奏した。すべての音が魅力的だった。中学で吹奏楽部に入るのだと意気込み、毎日を過ごした。幼少期から将来吹奏楽をやる許可をもらっていたのに、中学に入学した時点で突然無理だと親に告げられ、なぜか入れず、もう、本当に自暴自棄。

吹奏楽部の定期演奏会には足を運んだ。トランペットはあまり好きじゃないけどうるさくておもしろいし、トロンボーンはなんか派手で愉快だ。ホルンは形も存在も魅力的で、一番のお気に入り。コントラバスなんか、かなりかっこいい。笛の音にはこころが震える。正直に、オーケストラのすべての音にこころが震える。楽器のすべてに体が痺れる。こんなに音が好きなのに、好きな音がこの世にまだまだたくさんある。しかし、よくわからない。何かが許せないようなうれしくて苦しい不思議な感覚だ。

もう葛藤や絶望は面倒なので省くが、紆余曲折、高校でよくわからないまま軽音楽部に入り、仕方なくギターを始めたり歌ったり人と関わったり部長をしたり、大学で軽音サークルに入ってドラムを始めたり、歌ったりギターを弾いたり人と関わったり部長をしたり、適当に過ごした。組織の運営は楽器を演奏すること以上に楽しかった。あと、歌うことは嫌いだったが、持て余した葛藤を声に変えて消化すればちょうどいいかもなどと思い始めた。そのままなんとなくバンドをやって、歌って「これからも歌うべきだよ」と言われることがあったりするので、考える。歌なんて誰にでも歌えるな、どうでもいいなと思う。考えても何をしたいのかよくわからないけど、音は出したい。それに、歌うことは辞めなくていい。持ち物すべて捨てられても体があるから声を出す。自然で、素敵なことだと思う。こうして文字にしても何もわからないままだが、でも、歌える瞬間があることは今が自由な証だ。うれしい。うれしいからなんとなく歌っていられたらいいなと思う。よくわからないままよくわからないことを書いた。音がすべてじゃないし、好きなことはたくさんあるし、石集めがしたいとか欲求も尽きないし、仕事や人間関係、生活、人の数だけ人生いろいろだが、そんな些細な音のことだけでも胸がいっぱいになる。人間はかわいいな、音が出したい。うまく出せない音ばかりなのもかわいいかな。歌を歌うのは苦しい。苦しくて体が痺れて知らない空気が入ってきていっぱいになって好きだ。ひとがいるともっといい。最近突然声が出なくなったりする。不安だ。だけど、もし声が出なくなっても、歌えるような気がする。よくわからないけれど、そう思う。

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