自分のために生きない
ハレルヤ。麦野です。
この世界では、今「個」を大切にすることが主流です。
自分を愛しなさい。自分の喜ぶことをしなさい。
家族や地域や会社などの一員として、共同体に属し、持ちつ持たれつ助け合う。という日本文化は廃れつつあります。三方よしという商人の考えもなくなりつつある。
その代わり台頭しているのが「自分が良ければいい」です。
間違ったことをしても「あなたが良ければいいんじゃない?」
どうしてこうなったか。
テレビや雑誌をはじめとするメディアがそれを推進したのでしょう。
これが新しい考え方だと持ち上げ続けたのでしょう。
日本人の多くが『本当に正しいこと、』が何なのかを誰も知らないから、ではないでしょうか。
悪口も自己中心さも傲慢さも、ダメだよ。と聖書に書かれています。
自分の分のパンを飢えた人にあげなさい。と書いてあります。
これはいいよ、これはダメだよとはっきりと書かれています。
なぜ?なぜ、そんな書物に頼るのか?
神が唯一の義なる方、正しい方だからです。
人間は愚かで善悪の判別が、実はつきません。
「いやいや、俺は大人だから、わかってるし…」と思ったでしょうか。
あなたは、素晴らしい方かもしれません。
心が強く、誘惑に流されず、悪口も言わず、感謝を忘れずに、人に施しをし…
だとしても、人間は愚かなのです。完璧ではないからです。
完璧でないのが人間だからです。
「自分を一番大切して、感謝なんてしなくていいし、あるものを当たり前に受け取って、それを手に、人の前に立ち見せつけなさい。
容姿を磨きなさい。容姿しか人は見えないのだから。
手に入れたものは自分の実力だと誇りなさい。誇り、それを人に伝えなさい。
人があなたを称賛してくれるでしょう。」
そんなそそのかしに、簡単にのってしまうのです。
私たちは愚かなのです。
目の前にある美味しそうなもの、得になりそうなものを人に譲ることはできない。
鋭利な言葉で人を傷つけ、理解できないものを煙たがり排除する。
人に序列をつけ見下したりへつらったりする。
至るところに張り巡らされているポルノに欲望を吐き出さずにはいられない。
他人の身体を汚して自分の精をまき、自分をも汚す。
この愚かさに気づけず、気付けても誰かのせいにする。
自分のことばかり考える。
人は誰でもそうなのです。悪に魅入られているのです。
しかし、そのことに真に気がつけた時に、新しい扉が開きます。
神の道に導かれる。
自分には神が必要なのだとわかるのです。
私たちは未熟で愚かだからです。だから神を信じ、仲間と手を取り祈ることができる。
私は素晴らしい人間ではありません。むしろ全然ちがう。
何も尊くもない、何かに成功しているわけでもなく、秀でたものが、あるわけでもない。自分を滅して人に施しをしてるわけでもない。
だからこそ、神が必要なのです。
だからこそ、自分のために生きるのをやめるのです。
どれだけ自分のために生きても、真から満たされることはありません。
どれだけ自分のために稼いでも、何かを買おうと、満たされることはなく、次から次へと欲しくなるだけ。
あるもので満足せず、次から次へと欲しがっても果てしない。終わりはない。それが本当に自分を満たすことはない。
しかし神は。私を本当に深いところから癒し、満たしてくださる。
と、書くと、「怪しい…」と思われるのでしょう。
ですが、人間には、神と繋がりをもつと真に満たされるように造られている。
だから1人でも多くの方が、神のもとへ帰ることを祈ります。
唯一無二の義なる方。善なる神よ。どうかこの記事を少しでも読んでくれた方々が神へ導かれますように。たとえわずかでも、種から芽吹き、神の元へ帰ることができますように。
真理を受け取ることができますように。
イエスキリストの御名によってお祈りいたします。Amen