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偽らない手

 手のひらの温もりが心まで暖めることをあなたは知っているだろうか。
わたしの心は冷え切り、凍えている。

 優しい世界に生きてきたあなたには想像もつかないかもしれないけれど、わたしの生きていた世界は幼い心に耐え難いほど冷たい世界だった。
手を伸ばしてもそこには暖かい微笑みはなく冷笑や嘲笑が待っていた。それでもわたしには過ごす家があったから幸せだったのだろうか。
 辛さや苦しさの中にいる人に「あなたより辛い人はたくさんいる」と言葉をかける人がいる。ハッパをかけているのかもしれないけれど、全く励みにならない言葉ではないかと思う。その人のいる世界、見えているもの、感じているものは側からみて重く見えてようと軽く見えてようと、その人にしかわからない。感受性も性質も何もかもが違うのだ。

 そこは凍りついた世界だった。罵りや暴力や無自覚な拒否や否定。憎しみや怒り。信じることも頼ることもない世界。不安になっても怖くなってもすがる場所はなく、わたしは静かに心を閉じた。閉じた、というよりも、心の機能をオフにしたと言った方が近い。

 何人かの人にすがり付いた。心の中が真っ暗なのか真っ白なのか、とにかく何もなく、頭は恐怖や不安を記憶して、毎日の自分を乗っ取っていく。頼る場所はどこにもなかった。すがり付いたのは、わたしの生きていていい場所が欲しかったから。そこにいたら、この空白が埋まるのかと思った。けれど、歪んだ心はそれをゆるさない。すがり付いた重いわたしを受け入れず拒否する人だけにすがちついていく。もしも優しい人がいて、そんなわたしを受け入れてくれる人がいても心はその人の方には向かない。わたしを拒絶する人にだけわたしの心が向いていく。なんと愚かで、なんと虚しいことなのか、分かっていてもやめられない。 自分を傷つけることをやめられない。どんなにたくさんの人の中にいても心は満たされることはない。何も満たされることはない。空白は空白のまま。

 口だけなら人はなんとでも言える。本当にそう思う。かっこいいことも素敵なことも優しいことも。それが本当に心から出てるのか、口先だけなのか、それは伝わる。だから、言葉は好きだけど、あまり信じていない。口先だけの繋がりも信じていない。それはうわべをなぞるだけ。そんなものが何になるというのか。

 それは優しい手だったのか。暖かい手だったのか。満たされるためには、自分の空虚さを認めなくてはいけない。わたしは偽っていた。満たされてる人を演じていた。優しくない手を優しいと思った。もう本当のことはわからない。いつも。ただ、諦めることなく、手を握って、すがり付かないように、ただつなぐ。偽らないように。ごまかさないように。


麦野 いちか

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