どこまでいってもgive&take
日記です。
来ても来なくてもいいと言われていた法要(祖父の7回忌)に、行くことにしました(未来)
本当に無理に来なくてもいいと言われていたんです。
いざ行くと連絡したら、私が来ること前提で予定が組まれていました。誰が何を用意するのか、テンヤワンヤ。も~~~面倒くさいよー。お金もかかるよー。
でも、この親戚に会うのは、もう最後かもしれないと、不幸が重なる度に思ってしまうのです。別にそれはそれで仕方がないと思いつつ。
生きている私が主役の人生なのに、ここ数ヶ月は死んだ人中心で、文化と伝統に疲れ果てています。簡素化してくれ、頼む。昔よりマシだって?その文句は昔の人に言ってくれ。
親戚(近い)の十三回忌と七回忌が重なり、他にも近しい人が夏に亡くなり、もう素数ゼミの大量発生年みたいな2024年。
宗教とは何なのか、考えてしまいますね。
ほんと大変で疲れます。本来は生きている人のために行われる儀式にHPを減らされ続けています。
あなたが恵まれているのはご先祖さまのお陰です!なんて今誰かに言われたら、ブチギレるかもしれない。
こんなにクソクソ面倒なのに、なぜ行くことにしたのかというと、今回会う叔母さんには昔お世話になったからなんですよね。微力でも叔母さんの力にはなりたいと思っています。あと何回会えるかわからないし。
ただそれもきっとポイント制で、私がもらった分より私のギブが大きくなってきたら、今より疎遠になるのでしょう。まあ今回私を困らせているのは叔父……(ややこしい田舎の親戚関係)
血の繋がりがあっても、やっぱりgive&takeからは逃れられないのだと思いました。
何も与えられていないのに親戚だからという理由で与え続けることは出来ません(断言)。
それが子供相手の場合は、また別かもしれませんが。
この高齢社会で誰かに支えてもらうには、それまでどれだけギブしたか、そのギブは相手にとってギフトだったかどうか、ということなのでしょう。
私が何度法要に出ようが、それは過去に貰ったポイントの返却でしかありません。
私の七回忌は、余程早く死なない限り行われないと思いますし。
死後の世界はあまり信じていないですが、私が地獄に落ちるときは、私が線香をあげた人達から多少のフォローが入ることを期待しています。まあ、アレとコレとソレについては、目をつぶっていただきたい。
お読みいただき、ありがとうございました!