「残り火はまだ熱い」
森アーツセンターギャラリーのバスキア展に行った。
正直わたしは19世紀美術こそ至高だと思っているところがあり、グラフィティアートなんかはあまり興味が無かった。
でも友達に誘われて行ってみて、結論から言うと、すごく良かった。心が震えた。
まずなんといっても、展覧会において全部がバスキアの作品であるというボリューム感がすごい。
最近だとムンク展も同じ形をとっていて、その際も満足度が高かったし、ムンクのファンになった。
バスキアの作品は、子どもの落書きみたいだ。
「自分でも描ける」と思う人は多いだろう。
わたしも最初はそう思った。
でも、違った。
荒々しい筆触や、彼のルーツを感じさせる言語の羅列は、他の誰にも真似できない。
同じようなものを作れても、同じだけの価値を持たない。
バスキアの作品は、カンバスとオイルスティックだけで成り立っているわけではないからだ。
彼の人生と思想が、時代背景と融け合って初めて作品になる。
画面から溢れるエネルギーに、ドキドキしない人間なんかいない。
無料で借りることができた音声ガイドは、印象的なフレーズで締めくくられた。
「バスキアは炎のように生きた。そして火は消えた。だが残り火はまだ熱い」
これを聞いた瞬間、目頭がぎゅっと熱くなった。
わたしにもわかる。
バスキアの命はまだ燃えている。
大小様々な作品に残る筆の跡からは、そのスピード感と力強さが伝わってきた。
映像の中でスプレー缶を片手に全身で制作をする姿は、彼が生きていた証だった。
バスキアの生涯は短かった。
でも彼の死は、一般的なそれとは異なった。
作品に魂を預け、肉体だけが消滅した。
残り火なんてものじゃない。
轟々と燃え盛る炎を前にして、わたしは息をするのがやっとだった。
画家に限らず、誰かが遺したものが熱を宿したままになるということはある。
贈り物や手紙がその例だ。
それが生きている者の何かしらの力になったりする。
わたしはどうだろう。
わたしが死んだ後、この命はどこかの誰かのもとで燃え続けるだろうか。
帰路はそんなことを考えていた。
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