人間コンプレックス
人は誰しも、なんらかのコンプレックス、すなわち劣等感を抱えているものだ。
容姿であったり、能力であったり、そのどちらもであったり。
わたしはというと、人間コンプレックスである。
自分が人間であるということが悩みで、恥ずかしいと思うことさえあるのだ。
人間であることが具体的にどのように嫌なのか。
まず第一に、美しくない。
美人か否かという問題ではなく、そもそも人間の姿形というものが、他の動物と比較して圧倒的に美しくない。
無駄の無い、進化した人間の肉体に美を感じる人もいるだろうが、わたしが求めるものは機能美ではない。
わたしは、錦蛇の鱗や蝶の翅のような美しさが欲しかった。
人間がいくら着飾っても、彼らの美しさに勝ることはない。
その証拠に、人間は古くから他の生物を素材にして服飾品を作ってきた。人間がもっとも美しい生物なら、他の生物を身につける必要がない。
第二に、高度な知能を持っているという欠点がある。
人間はあらゆる動物に比べて高度な知能を持ち、言語や道具といったものを使い生活を営む。
そしてそのようなことができる人間は優れた生き物であると錯覚している。
先程の服飾品の話もそうだが、人間は自身の利益のために他の生き物を殺すことを厭わない。またペット文化や動物園のように、その生き物の生涯を人間のために使わせる。
多くの人間は動物の命を利用して生きている。わたしはというと、猫カフェや動物園に癒しを求め、肉は柔らかくて美味しいものを好み、昆虫標本や剥製を欲する人間である。
他の生き物を利用できるほど人間は偉くない。そう思うけれど、欲に負け、「どうせわたしは人間だから」と、開き直っている。
その愚かしさもまた、人間コンプレックスに拍車をかけるのだ。
来世は猫がいい。かわいいので。
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