知識をひけらかす人、無知を恥じる人

タイトルにある人たちが苦手という話。

知識が豊富な人はすごい。
でもそれをひけらかして、知識が少ない人に対してマウントを取る人間はめちゃくちゃ嫌い。

これを書くに至った経緯は省くけれど、まあそういう人間が身近にいるということです。
友達のことではないから友達は安心してほしい。

知識って基本的には、求められたとき以外は披露すべきではないのかなと思う。

求められる人間としては教授とか。
教授のもとに集まる生徒は知識の取得を目的としている(はずだ)し、教授は積極的に知識を披露することが求められる。

教授はなぜ豊富な知識を得たのかと言えば、もちろん勉強・研究の成果で、その原動力は紛れもなく「興味」。

言い換えれば、教授でも興味の薄い専門外のことには疎い。

人間は、よほどの理由がなければ興味の無いものを極めたりしないんだと思う。

幅広い知識を持つ人は、興味をいろいろな方向に広げる人。例えるならば蜘蛛。

あっちこっちに糸を張るから、話のわかる人がよく引っかかる。そしてその人からさらに知識を得て、また巣を広げる。この繰り返し。

対して、教授のようにひとつのことを極める人はモグラ。

土の中をひたすら掘り進み、時折餌を見つけて食べる。「穴を掘る」という興味を突き詰めるのに必要であれば、「餌」として別分野の知識も取り入れるという感じ。でも、穴の中の餌は限られている。どうしても、土の中で暮らす生き物を食べることになる。だいたいミミズ。知らないけど。

モグラがミミズの味しか知らないのに対して、蜘蛛は蝶や蠅などいろいろな味を知っている。

だからと言って、蜘蛛が偉そうにするのはおかしい。
なぜなら蜘蛛とモグラは全く別の生き物だから。比べようがない。

モグラも蝶を食べてみたいと思うなら食べればいいけれど、現状必要ないのならミミズだけで充分だ。
モグラは蝶の味を知らなくても恥じることなんてない。

もちろん、教養のある人が成功しやすい傾向にはあると思う。だから興味は幅広く持つべきだというのもわかる。

ただ、それは「人間は社会的成功を目指すべき」という先入観のもとに成り立っていて、「そもそもゴールが異なる人間もいる」ということを認識外に置いている超主観押し付けマンの意見なのだ。

社会的成功を目標としていない(或いは諦めている)人間は、ミミズだけ食べていたっていいのだ。

わたしは圧倒的にモグラ側の人間で、仕事を選ぶときだって好きなことに関わっていないと絶対に嫌だった。大好物を摂取しまくる人生こそ至高。

でも、新しいことを知るのももちろん楽しい。わたしの友達には蜘蛛がたくさんいるので、ときどき土の中では食べられないものを分けてもらう。

それを食べて、へーおいしいじゃんって思うけど、結局は土の中に持ち帰って、ミミズとの食べ合わせを考える。
そういう感じで、あくまでも限られた興味に収束していく。

長々と例え話を書いてしまったけど、言いたかったのは人間を「人間」という生き物として、めちゃくちゃデカい枠で捉えるから、優劣をつけたくなっちゃうんだろうなということ。

この前Twitterで、「みんな違くてみんなキモい」というツイートを見た。まじでこれだと思う。スーツに刺繍して出勤したい。

人間の多様性はもはや同じ種として括れないキモさがあるので、しょうもないマウントとったところでなんにもならん。

自分の餌を分けるのは、「一口ちょうだい」って言われた時だけにしましょうね。

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