『オニキス』#04 (終)
翌日も、翌々日も、そのヒトはやってきました。
毎回、芝刈機みたいに隈なく芝生を廻っては、ため息をついて帰っていくのです。
ぴっちりと切りそろえられた黒髪のショートボブに、狐の目のような鋭いシルエットに縁取られた瞳が印象的でした。
いつだって真紅に塗られた挑発的な唇は、どこか強がっているようにも感じられました。
彼女が来るようになってから一週間が経った朝、いつものように水浴びをしてから、カラスは急に思い当たりました。
もしかして彼女は、何かを探しているんじゃないだろうか。
カラスはそれが何なのかすぐにわかりました。
急いで住処に戻って、ラブラドライトの指輪を咥えて芝生の上を飛び回りました。
若草色の中に、ターコイズブルーのワンピースを着た彼女の姿を見つけると、一目散に降りていきます。
着地する直前、こんなにいきなり現れたら彼女を怖がらせてしまうのではないかと心配になりましたが、今さら止まることもできませんでした。
もしも怖がらせて、彼女が逃げ出してしまったら、また来た時に見つけられるように指輪だけそっと置いておこう。そう考えました。
彼女は突然現れたカラスに気がつくと、目当てのものを見つけた警察犬のごとくぴくりと動きを止めて吠えました。
「あった!!!」
その勢いに驚いて、思わずカラスは指輪をポトリと落としてしまいました。
彼女はそれを優しく拾い上げ、まだ低い太陽にかざして微笑みました。
「よかった。大切な人がくれたものだったの。よかった…」
彼女の様子を見たカラスは我に返って、もう安心だと思い住処に戻ろうと背を向けました。
「待って! ありがとう、持っていてくれたのね」
カラスは自分に話しかけていると気付いて、また彼女に向き直りました。
「この石、綺麗でしょう? ラブラドライトっていうの。こうやって、光に当てると……ほら、こんなに輝いて。あなたにそっくり」
カラスは何も言えませんでした。彼女の言ったことがよくわからなかったのです。
その美しい石と自分がそっくりだなんて、あり得ないと思いました。許されないとすら思いました。
押し黙るカラスを見て、彼女は続けました。
「そっか、あなた、自分の姿を見たことがないのね?」
そう言ってハンドバッグから取り出したのは、くすんだ金色のコンパクトでした。カラスはきゅっと身体を強張らせて、無意識に一歩下がりました。
それが開かれたら、自分の姿が映ることはわかっています。
カラスは、このヒトが、ハチ公前にいるヒトと同じなのかどうか、測りかねていました。
彼女は繊細な装飾がされたコンパクトを開いてカラスの方へ向けました。
ついにその場から動くことができなかったカラスは、鏡を直視してしまいました。
しまった、と思ったのは束の間。
そこに映るのは、陽の光を反射して青緑色に煌めく自分の姿でした。
「カラスってさ、真っ黒だと思われがちだけどね、濡羽色っていって、水に濡れると青緑っぽく輝くのよ。わたし、熱帯の鮮やかな鳥よりも、クジャクやキジよりも、カラスが一番綺麗だと思うの。求愛のためとか、護身とか、そういうんじゃなくて、純粋な美って、あなたたちにしかないものだから」
カラスはなんだか、信じられないような気持ちで、瞬きを繰り返しながら自分の身体を眺めました。
嬉しくてたまらないのに涙が溢れてきそうでした。
「ありがとう」
やっと絞り出した声が、彼女にどのように聞こえたかはわかりません。
ただ、彼女ははにかんで、ふんわりと頰を赤らめました。
唇の赤とは違う、やわらかで甘いその色が、この世で一番美しく感じられました。
「そうだ、これ、代わりと言ってはなんだけど……」
彼女は指にはめていた、真っ黒なオニキスの指輪をカラスに差し出しました。
「これは自分で買ったものだから、あなたにあげる。大切にしてね」
黒という色は、この世の全ての色を含んでいるのよ、と彼女は教えてくれました。
その日から、公園で彼女の姿を見ることはありませんでした。東京の街へ探しに出掛ければ、見つけることはできたかもしれません。
でも、カラスはそれをしませんでした。
だって、オニキスを眺めれば、その中に彼女の頰の色を見つけることができるのです。
カラスはそれだけで幸せでした。
ヒトが溢れかえる大都市渋谷で、カラスはもう一人ではありませんでした。
おわり
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