父が死んだ

タイトル通り、先日父が亡くなった。 わたしが嫌いで仕方なかった父が。 亡くなる前の日、母から「もう長くないかもしれないから会いに来て」と言われて会いに行った。父は6年前から癌だった。 ほとんど骨と皮になった父は、息も絶え絶えで、今にも死んでしまいそうだった。 介護用ベッドの側へ行くと、手を差し出してきた。 母に促されてその手を取ると、父はほとんど息みたいな声を絞り出して言った。 「お前は幸せになれるから。愛してる」 あーあ、早く終わってくれ。こんな茶番やってられない。 そんな気持ちで「ありがとう」と返した。 帰り際に母に言われた。 「今まで厳しかったと思うけど、許してあげてね」 翌日の朝、父は死んだ。 母が泣きながら電話をかけてきて、わたしもつられて泣きながら実家に行く用意をした。 出掛け際、恋人がぎゅっと抱きしめてくれた。 その後、抜け殻になった父に会った。不思議と涙は出てこなくて、人って死ぬんだなーとか考えていた。 祖母や叔母さん、近所の人、母の友人。いろいろな人が代わる代わるやってきて、母を慰めた。 わたしは、父が死んだことよりも、母が泣いていることが悲しかった。 父のことはあまり好きじゃなかった。 父は本当に厳しい人で、わたしは家にいるのが苦しくて仕方がなかった。 理不尽なことで怒鳴られ、罵られ、人格を否定され続け、わたしは父と自分の間に境界線を引くようになっていた。 母には許してあげてほしいと言われたけれど、死んだからって許せるような話ではない。 だってわたしは生きているし、一度も父から謝罪を受けることなく、死際の「愛してる」で全て有耶無耶にされたのだ。 父に愛なんて求めていなかった。愛なら他から貰っているから。 欲しかったのは、謝罪。ただそれだけ。 告別式の花入れの際、母は今までで一番大きな声で泣いた。薄化粧を施されてやけに穏やかな父の顔に触れながら、わんわん泣いていた。 辛かった。 この時同時に、もしも自分の恋人が死んでしまったら、ということを考えていた。 棺いっぱいの花に埋もれた恋人を想像しただけで、涙が止まらなくなった。 しかもわたしは、母のような立ち位置で恋人を見送れない。 結婚もしておらず、関係も公にできないわたしたち。最期の最期まで顔に触れて、棺に縋り付くことは許されない。霊柩車にも乗れない。骨を抱えて帰ることもできない。 それがまた悲しくて、悲しくて泣いた。 親の葬儀で、わたしは自分のことばかり考えていた。 葬儀が住んで、恋人の待つ家に帰った。 いつも通り迎えてくれた彼をぎゅっと抱きしめる。生きている人間の体温だった。 わたしの大好きな人、どうか長生きしてね。

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