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冷えた珈琲とぬくいソファ

体調には波がある。体だけでなく、心にも。
それは体調というべきか、心調というべきか、とにかくどうにも心が鉛のように沈んで動かなくなる。
それは体の中心でどろりと澱んで、イキイキした気力を溶かして、体まで動かなくしてしまう。

朝食は摂らない。お腹が空かないから。
自分の機嫌をとるために、なんとか這うように動いて珈琲を淹れる。珈琲をサイドテーブルに置いた後、私はソファに腰を下ろしてぼんやりする。

日当たりのいいリビングは沈んだ心と対照的な明るさを持っている。小窓から射し込む陽射しは昼に近づくにつれて私の体の上を移動して、体とソファの隙間はぽかぽかと温まっていく。
こういう時、心は何の温度も感じないけれど、体は物理的に温まるので均衡が保たれている気がする。
暖かい陽射しとぬくいソファに包まれて、自分が透明人間になっていくような不思議な気持ちになる。

考えごとをしながらおかずを作り続けたせいで冷蔵庫の中はパンパン。ただ、食欲は湧かない。
欠けたネイルの隙間から傷んだ爪が見える。
洗濯機の終了のメロディが聞こえる。炊飯器の中は朝炊いたご飯がそのままになっている。
それでも、私の体が動くことはない。
気づくと、そこで数時間が経っている。
珈琲の湯気はすっかり消えている。それに口をつけると、口の中には品のない苦味が広がっていく。

元気が出ない。
そう言えるだけ幸せなのかもしれないと思いながら珈琲を飲み干して、重たい体を動かして家事を開始する。

生きていればそんな日もある。
冷えた珈琲とぬくいソファは私のそんな日の象徴で、唯一、私を甘やかしてくれる。

明日には元気になるからと自分に言い聞かせるけれど、そんなに上手くいかないこともわかっている。
ただ一時、ごまかし、ごまかしながら、なんとか日常をじっとこなしていく。そんな時もある。
今はそんな時。焦る必要はない。

明日は天気がいいだろうか。
あの小説の最後はどうなっただろうか。
次の珈琲豆は何を選ぼうか。

日々を過ごす理由なんてものは、そんな小さなことの積み重ねなのかもしれない。

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