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苦しみも幸せも、そっと抱き締めて
自分を肯定してくれる人を選ぶこと。
人の心の痛みが分かる人を選ぶこと。
そして、自分もそのような人間になること。
■中学時代、地獄を見る
中学時代、私は地獄を見た。
人権も正しさも無い世界で、
気紛れに "私" を否定され、"心" を殺された。
逃げることも出来ない狭い檻の中、
学校中に蔓延る最悪な空気感、
次々にターゲットにされるクラスメイトたち、
そして頼りにならない教師陣。
あまりにも救いが無い環境で
居場所を奪われないように当たり障りなく
それでいて "自分" を殺して生きてきた。
もう駄目かもしれないと勘づき、
いろいろが嫌になった中学1年生、冬。
あと3年も、この場所で死なないように
生きなければならないことに心底絶望した。
■抱え続ける苦しみ
あの時無垢な心を殺され
毒を一気に吸ってしまった私は
未だに苦しみに苛まれながら生きている。
人の社会への絶望と悲しみ。
期待したい気持ちと
裏切られたくない気持ちと
どうせ期待するだけ無駄だと冷めた気持ち。
拭えない虚無感。
仮面でしかない笑顔と当たり障りの無い言葉は
警戒心の証拠。
出せなくなった "自分" と、出てこない "言葉" 。
植え付けられた、歪んだ思考。
低過ぎる自己肯定感。
常にヒリヒリと痛み続ける心の傷。
あの頃から剥き出しの心。
別にいつもいつも悲しい訳じゃないし
楽しいことや嬉しいことだって沢山ある。
少しずつ、自分を肯定できるようになった。
少しずつ、自分を表現できるようになった。
いろんな "私" を「好き」「面白い」と
言ってくれる人が現れた。
私は私のペースで、
いろんなことを感じながら
何かを学びながら
ちゃんと自分の頭で考えながら
自分に胸を張れる人生を送ってきた。
それを自分で誇りに思うし、幸せだと感じる。
だけどやっぱり、ふとした瞬間に感じる苦しみは
消えてはくれない。
心の柔らかい部分はずっと傷ついたまま。
これからも "心" を殺されることへの恐怖を抱えて
生きていかなければならない。
■幸せを抱き締める
幸せだと思うことがある。
それは
私という人間の幸せを心から願ってくれる人が
現れたこと。
抱えた苦しみを、優しさで包み込んでくれる人が
現れたこと。
きっとこれからだって
苦しみを簡単に過去にはできない。
だけど、
私の心ごと抱き締めてくれた人が
優しい色をした空を見せてくれた人が
私の震える手を握ってくれるなら
私はきっと生きていけるだろう。
苦しみと幸せを抱き締めながら
私がここに残したい言葉。
自分を肯定してくれる人を選ぶこと。
人の心の痛みが分かる人を選ぶこと。
そして、自分もそのような人間になること。
自分に向けて。
そして今
苦しい思いをしながら生きている人に向けて。
誰かに届きますように、と
そんな願いを込めて。
最後まで読んで頂きありがとうございました。