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「私はこれが嫌だ。」が分かったらそれだけで良い

産前産後ヘルパーのKさんが来てくれた。
私が住んでいる市町村では、子供が1歳になるまで産前産後ヘルパーの利用に補助が出る。うちの子が1歳になるまでずっとお世話になっていたが、1歳になって補助が無くなったので会う機会がなくなってしまっていた。しかし、やっぱりどうしてもKさんとお話したくて、正規料金を払ってお願いした(もちろん部屋も荒れ放題なのでヘルパーさんの仕事は山程ある)。

3時間9,900円と決して安くはない買い物だが、私の心のリフレッシュ代と思えば、家も綺麗になるし、育児家事の相談もできるし、良いことづくめだ。

Kさんがブワワワワーッと掃除をやってくださった後、次の予定を決めながら数分雑談していた。私はこの雑談タイムが好きだ。

昨日までの祖母の葬儀やらなんやらで家族と過ごしたなかで、感じたことを話してみた。
「そうそう、うちの母ってこうだったな〜って思ったんですよね。別にそれは悪気があるわけじゃなくて、でもなんだか複雑な気持ちになって。」と、うまく言葉にできない私。

Kさんは、私が1話すといつと10くらい返してくれる。
「私はこれが嫌だ、が分かったらそれだけで良いと思うんですよ。『嫌だ』と分かれば、自分で自分を癒してあげられる。◯ちゃん(うちの子)に『痛かったね〜』と言ってあげるみたいに。母と同じことを自分の子にはしないぞ、と思うと、意識してしまって、結局同じことをしてしまったりするし。それでも、子供に恨まれる時は恨まれますけどね〜ハハハハ」
「思ってることを口にしてこなかったんだろうね。不満や嫌なことは何かの形で表に出していかないと、恨みになるからね。」

こんなに可愛い我が子に恨まれるなんて嫌だ、と少しゾッとしながらも、目から鱗が落ちた。「これが嫌だ。」が分かることも、大事な一歩なんだ。
私は、子供の頃から、嫌なことを嫌だと言わないうちに、自分の「これが嫌だ。」が分からなくなっていたのだろう。
自分の「これが好き。」が分からないだけじゃなくて、私は「これが嫌い。」も分からなかったんだ、と気がついた。

特に母親に「これが嫌」と言っても「ママの言うことを聞いておけば間違いないから」と聞いてもらえなかったし、母の機嫌が悪くなったり母を困らせたりすると思うと、わざわざ嫌な気持ちを伝えなかった。
そうやってウヤムヤにしているうちに、自分が何が嫌なのか考えることもなくなっていたのかもしれない。

だからと言って、今さら母を責めるつもりはない。当時の母の年齢や性格、家族の状況、社会的な背景などを思えば、必死で子育てしていた結果なのだろう。いま私が子育てを通じて、母がやってきたことを追体験してみて、そんなふうに考えられるようになった。

noteを通じて好きなことを言語化していこうと思っていたが、嫌いなことも言語化して、自分で認識してくことが必要みたいだ。
私得意の「モヤモヤする」を紐解いていくと、「これが嫌だ。」の気持ちに辿り着くのかもしれない。

次にKさんが来るのは3週間後になった。
それまでに、もう少し綺麗な部屋にしておきたい。




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