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はじめて見る父の姿

数年前、父方の祖母が急に亡くなった。

九州に住んでいるので祖父にも祖母にも頻繁には会えなかった。

わたしの父はいつもヘラヘラしてふざけている。
我が子にも孫にも愛情はたくさん注いでいるがいつも返答が適当な人間だ。

3歳の孫が機嫌を損ねた時も

「じいじ悪い!」
「悪ない!」

「じいじ嫌い!」
「じいじ嫌いでもいいけど損するで、知らんで、欲しい物買ってもらわれへんくなるで」

「あれしたい!うわぁーん」
「もうもう、ややこしいこと言わんといて」

3歳児とのやりとりか?というぐらい適当なのだ。

わたしの母はとんでもないわがままで子どもの時から甘やかされて育ってきたことがよくわかる性格をしている。
母は絶対に亭主関白な男とはやっていけないだろう。
父が母に命令口調で話すことなんてありえない。
父は母に優しいが、それは言い返すとめんどうくさいから優しいのだと思う。
たまに理不尽すぎて父になぜ母と結婚したか聞く時があるが、決まって「顔が可愛いから」と言う。
わたしは父の遺伝が強いのだといつも思わされる。
父がたまに不憫に思う時があるけれど、わたしの両親は仲がいい。


父には兄がいる。父より適当でせっかちな人間だ。
父方の祖父が亡くなった時、わたしと母は韓国に旅行へいっていて、父から葬式やっとくから帰国しなくていけると連絡がきた。
お通夜にもお葬式にも行かなかった。父とわたしの兄の家族が行き、帰宅した後に兄と義姉に葬儀の様子を聞いた。

「ひとりずつ花を置いてあげてください」と葬儀の方から言われ、みんな最後のお別れを言いながら置いていったが、花の数と葬儀に来ていた人数が比例してなくて花を置いていくのに結構時間がかかりそうだった矢先、せっかちな父の兄が花の箱ごと持ってガサガサと花を流し入れたらしい。
その横で父や祖母がいい感じに広げるという光景は想像できなくもない。
焼却のボタンを押す時も躊躇なく押していたと言っていた。想像できなくもない。

人が亡くなれば色々手続きとやらが大変らしい。
祖母は「こんなん逝ったもん勝ちやんか〜」と、いつものペースで言っていたらしい。
父方の家族はみんな適当みたいだ、その遺伝はどうやらわたしにも引き継がれている。
愛はあるけれど、現実的というかなんと言うか。
愛は、あるんですよ。


それから数年後に祖母が亡くなった。
いつも優しく「むぎちゃん〜元気〜?」と電話で話をしていて、わたしも結婚したてで旦那を紹介しにいきたいと思っていた時だった。
母から知らせを受けたときは結構泣いた。

祖父の葬儀の様子を聞いているので、祖母の葬儀も淡々と終わるのだろうとみんなで九州に向かった。
葬儀場についたらいつもの父と父の兄がいた。

お経を読んでいる間、斜め前に座っていた父が泣いていた。
目に手をあてながらずっと泣いていた。
わたしはいつも適当でヘラヘラしている父の泣いている姿を見るのは初めてだった。

火葬場に着き、祖母が祖母である姿はこれで最後だ。
焼却する直前に父が

「かぁちゃん!かぁちゃん!起きてや!なんで寝てんの!早よ目開けてよ!」

と祖母が入った箱をバンバンと叩きながら泣き崩れていた。静まり返った部屋で父の叫び声だけがひたすら聞こえた。取り乱し、泣き崩れている父を見るのは胸が痛んだ。

わたしの横で母は「しっかりせえや、メソメソ泣きやがって」と父を真っ直ぐ見つめていた。
母は美人なのに言う事はいつもキツい。
これも母なりの愛かなと母の顔を見るとそうでもなさそうだった。

父は焼却のボタンを押すことができず
「にぃちゃん、押して」とメソメソ泣きながら言い、父が弟である姿も初めて見た。

骨となって戻って来た祖母の姿は灰色だった。
父は違い箸で遺骨を掴みたくなかったのか、素手で触り「あっつ、あっつ」と言いながら骨壺に納めていたが相当熱かったらしく2つ目からは違い箸を使用していた。わたしは心の中でバカだなと思った。
横の母を見るとまた父を真っ直ぐ見つめていた、何も言わなかったが、顔が「なにしてんねん」と言っていた。

自分の母親となると、やはり父親とはなにか違うのだろうか。

その日父は抜け殻のようになっていた。
母がしっかりせねばと、父にこの後のスケジュールを確認したりドリンクを持っていったりと動いていた。父はもう全てがどうでもいいようで、母への対応がいつもならありえない「おうおう」と流し返答をしていた。
母はそれが気に食わないようで、わたしの横に座り再び「パパ、ママのこと適当にあしらった。帰ってきたらまじで覚えとけよ」と父を真っ直ぐ見つめていた。どんな状況でも母は母なのだと思う。

わたしは内心、自分の母親が亡くなったのだ、今日ぐらい許してやれと思ったがめんどうくさいので何も言わなかった。

父のいとこが霊媒師さんだか、御寺さんだか特殊な能力を持っている人だった。
一人暮らしの祖母の面倒をよく見てくれていたらしい。
その人はお葬式でわたしの横に座っていて、いちばん近くで祖母の面倒を見てくれていたのに、泣いたりしていなかったので、父にあの人がいちばん悲しいのかなと言うと、あいつは「死んだ」じゃなくて「別の世界に行った」と思うらしいと言っていた。

「別の世界に行った」と言う言葉はわたしの中でなにか価値観がすごく変わった気がする。


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