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初産経験大号泣

わたしは妊娠も出産もそれほど身構えていなかった。

出産を経験した人たちは、痛すぎる!大変だった!と言いながらもみんな健康に妊娠も出産もしていたから大丈夫だろうと思っていた。

中には帝王切開や難産などを経験した人もいた。
しかし、割合的には安産が多かったのでわたしは大丈夫だろうと思っていた。

なりより、出産を終えたわたしの周りの人たちはみんなとても幸せそうだったからだ。

わたしの妊婦経験は特に大変な思い出はない。
つわりもなければ、ただひたすら妊婦だからと言う理由でソファでゴロゴロしながらNetflixを見ているだけの幸せな妊婦生活だった。
お腹が大きくなってくると、寝るのも、歩くのも、起きるのも、動作全てがしんどかった。
それと肌の乾燥がなかなかひどく痒みと戦った。
しかし、それぐらいだった。

予定より2週間早く陣痛がきた。
朝の4時ごろだったろうか。初めての出産で陣痛なんてわかるんかいと思っていたけれど、分かった。
陣痛がきてしばらく家の中をウロウロ歩きながら、痛い〜痛い〜ともうすぐ我が子に会える嬉しさで浮かれながら歩いた。
陣痛が短い時間でくるようになったので、朝6時ごろ病院に電話した。それと同時に、ブロッコリーは仕事に向かった。

看護師さんに今すぐ病院に来るように言われ、旦那さんは?と聞かれたので、今さっき仕事行きました!と伝えると、えぇ!?なんで!?陣痛来てるのに仕事行ったの!?今すぐ帰ってきてもらって送ってもらいなさい!と看護師さんは驚いている様な、笑っている様な感じだった。

わたしもブロッコリーも陣痛がきた後の流れがよく分かっていなかったので、とりあえずブロッコリーが帰宅して、病院に送ってもらった。
病院に着くと看護師さんが待ってくれていて、ブロッコリーは少し怒られていた。
頭が上がりません状態のブロッコリーを少し元気づけてからわたしはベッドに横になった。

朝8時。なんだか本当にお腹が痛くなってきて唸り始めた。この時間ならお昼前には産まれてくるだろうと、初産のくせに勝手に頭の中で予定を立てはじめていた。

この日は、父と母と難波まで生パスタ食べ放題ランチの約束をしていた。結構楽しみにしていたので、陣痛が来た時は大丈夫だろうとランチに行く気だった。しかし看護師さんから病院にくるように言われたので生パスタランチは諦めた11月3日。

唸り始めて約4時間。お昼ご飯の時間だ。
しかしご飯など食べる元気がない、お腹が痛いのだ。

わたしはめっぽう痛みに弱い。
ふくらはぎが筋肉痛になった時、ベッドで泣いた。
歯列矯正のため歯茎に埋まった親知らずを抜くのに、麻酔をしていて全く痛くなかったけれど、歯茎を切られてる想像をした時、歯医者で泣いた。
歯医者さんはそんなに泣いてまで歯列矯正したいんかいなと言っていた。
旅行でタコの釜めしが美味しすぎて調子に乗って3釜分食べ満腹でお腹が痛くて苦しかった時、旅館の大広間で泣いた。
大好きだった彼氏と別れた時、電車で泣いた。
働きたくなさすぎて、休憩室で泣いた。
子どもの頃の話ではない、大人になってからの話だ。

この程度で泣くわたしなんですもの、朝8時からぶっ通しで泣いています。
健康チェックをしに来てくれたり、ご飯を持ってきてくれたりする看護師さんたちはずっと泣いているわたしに少々引いていたかもしれない。

夕方4時、陣痛が来てから12時間が経った。
わたしが泣き始めてから8時間が経った。

夜になりまだまだ産まれてこない様子。
シャワーを浴びるように勧められ、わたしは泣きながらシャワーを浴びた。
もちろん着替える時もずっと泣いている。
ずっと泣いているので人間はこんなに長時間泣けるものなのかと泣きながら思った。

深夜0時。日を跨いでしまった。
ここからはもう泣くだけでは耐えれなく、痛い痛い痛いと叫び始めた。わたしは普段叫んだり、大声を出す人間ではなかったがもうそんなことはどうでもよくなりひたすら泣き叫んだ。
ブロッコリーはずっとパイプ椅子で何十時間もつきっきりでいてくれた。

もう痛くてどうにかなりそうだったので、ナースコールを鳴らしたが子宮口がまだ全開じゃないので分娩台には移動できないとのこと。
しかしもうこんな拷問の様な痛みに耐えれるほどわたしはできた人間ではない。
3分間隔でナースコールを鳴らし、もう無理ですもう無理ですと訴え続け、8回目ぐらいでとりあえず分娩室に移動しようかと仕方なしに移動させてくれたのだと思う。あの時の助産師さん、何度もナースコールを鳴らして本当にすみませんでした。

ようやくヒーヒーフーの時がやってきた。
いきんで〜!と、言われたが、いきむってなに!?
と思いながら、ンンー!といきんだら、お腹の中でぐいーんと子が動く感覚を掴めた。その時は感動した。この拷問のような痛み解放まで後少し。
感覚を掴んだのでなかなかの動きだったみたいで、助産師さんたちは、おぉ〜と感心していた。
この辺りからゴールは見えていたので痛みなどすっかり忘れていた。
朝6時48分、3回目のいきみで元気に息子が産まれてきてくれた。感動する暇もなくとりあえず痛みから解放されていつものわたしに戻った。

人は、お金がない時と猛烈な痛みを感じる時は人格が変わる生き物なのだろうか。

もう二度とあの痛みを味わいたくないので出産を経験できてよかったのかは分からないけれど、息子に出会えたことは本当に幸せだ。

入院した産婦人科のご飯がとても美味しくて、マッサージなどのサービスも良く、最後は退院したくなくて帰り道の車で泣いた。

世の中のお母さんは頑張っているとよく耳にするけれど、お母さんだけが頑張っているのではない。
お父さんも、結婚していない人達も、学生も、子どももみんな、生きている人みんなそれぞれ頑張っているんですよ。

子どもを産んで立派だねとか、子育てしてえらいねと言う言葉はあまり言われたくない。わたしは子どもを産みたくて産んで、子育てをしたくてしている。

働きたくないわたしからすれば毎日仕事をしている人たちのほうがよっぽど立派で尊敬しています。




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