書店員時代
わたしは昔書店員をしていた。
特別本が好きだったわけではなかったけれど、なんか本屋さんで働きたくて応募した。
全く無知で入ったのでなにも分からなかった。
麦さんは社会担当をお願いします。と課長に言われた。指導担当は文庫担当のムレさんだった。
全体的に書店員さんは落ち着いた方が多くフレンドリーというよりかは淡々としている人が多かった。
最初の頃は少し怖くてやっていけるか心配だったけれど、話していくうちに全然怖い人達ではなかった。
書店員とはなかなかの力仕事で、思っていたのと違ったというのが本心だ。
毎朝大量の段ボールから新刊を出し、ジャンルごとに振り分け、それぞれが担当の棚出し作業を行う。
開店時間30分前にはレジを開け、朝礼担当者は新聞の書評コーナーを紹介する。
その日わたしが担当で一応目を通して予習する。
森下典子さんの「日日是好日(にちにちこれこうじつ)」が載っていた。
漢字が苦手でいつもなんとなく読みをしていたわたしの癖がでてしまい「ひびていこうび」となぜ確認しなかったのか、それであってると思った。
周りの先輩方がいつもスンとした方達だったので、わたしも書店員の時はスンとしたキャラでいた。
「今日の書評は森下典子さんの、ひびていこうびです。」
先輩や店長達がクスクスと笑い出し、この人達も笑うんだ。と周りを見渡し関心していた。
ところでなにを笑っているのだろうとわたしもとりあえずニコニコした。
課長が横で肩を震わせながら、「麦さん、それは、にちにちこれこうじつ。と読みますよ」と教えてくれ、スンとしたクールキャラで堂々と読み間違いをしてしまったことに恥ずかしくなった。
そしてまた冷静になり、え?え?誰がこんな難しい漢字読めるねん。と思った。
しかし先輩方はみんな当たり前のように読めるらしい。
そのことがあってかは分からないけれど、それから先輩達と話す機会が少し増えた気がする。
店長はすごくほんわかしていて、いつも髪の毛を下の方でひとつに結び、前髪は揃っていて、本をいつも両手で抱きしめるように持つ女性店長だった。
課長は身長は低く、首あたりで髪の毛をきっちりと切り揃えていて、メガネをかけていて、カッターシャツをしっかりズボンにいれベルトをカチッと止めスタスタと歩く女性だった。面接の時からすごく優しくてわたしは店長と課長が大好きだった。
文庫担当のムレさんも無知なわたしにとても丁寧に指導してくれた。
文庫コーナーの隣が社会コーナーだったので、ムレさんと喋ることが多かった。
ムレさんは身長が低めで、髪はショートカットで、実年齢より全然若く見えた、鼻が高かった。
書店員は手が荒れるのでムレさんはいつも軍手で作業していて、プロだなと思った。
上品な話し方で、落ち着いた声量のムレさんだが、話していくうちに「だるいよね〜」「めんどくさいよね〜」とか、上品で落ち着いた話し方で言うので全然だるそうでもめんどくさそうでもなかった。
ところでわたしの社会担当の件ですが、社会コーナーとは、主に政治関連、資格関連、ビジネス書、自己啓発本などわたしにとって今まで関わったことのない本ばかりでよくわからなかった。
習近平やトランプ大統領、安倍政権など同じようなタイトルの本ばかりで注目される本なんて全然わからなかった。
勉強せずにここまできたのに、資格のことなどわかるはずがない。
周りの先輩方が教えてくれてなんとかやっていた。本に触れる仕事というだけでわたしは楽しかったので続いたのだと思う。
新刊出しも重くて大変だったが、色んな本を知れて楽しかった。
わたしは趣味でラテアートを習っていて、講師の方が知り合いがお店をだすから働かない?と声をかけてくれてラテアートを毎日するのも楽しそうだなと思い書店員からまた飲食業に戻ることにした。
書店員最後の日、雑誌担当の岡さんがおすすめの本をくれた。
課長は少しうるうるした目で頑張ってくれてありがとう。と言ってくれた。
いつも淡々と作業をしていた人だからびっくりしてわたしも泣きそうになった。
店長はいつものペースでお疲れ様、ありがとう。とニコニコしながら言ってくれた。
わたしはフレンドリーな人がいい人だと思っていたけれど、淡々とした人達もすごく暖かくて少しずつ距離を詰めていく関係も悪くないなと思った。
本当にここの書店で働けて経験してよかった。
それから結婚して子どもが産まれ、子育てが落ち着いたらまた書店員をしたいと思い、5年ぶりに顔を出しに行った。
課長も店長もムレさんも他の先輩もいなかった。
芸術を担当していた主婦の竹さんがいて話しかけたら、覚えてくれていて嬉しかった。
店長は書店員をやめて北海道に引っ越したらしい。
課長は早期退職をしたらしい。
ムレさんは長い間勤めていると店長になるように仕向けられるらしくそれが嫌でやめてしまったらしい。
最後に本をくれた雑誌担当の岡さんは出版社の女性を口説いて結婚し出版社に就職したらしい。
みんな当たり前に働いていると思っていた、またあの人達と一緒に働けるのだと思っていたから悲しかった。
永遠なんてないんだなと改めて実感した。
本屋さんにはおもしろいお客様もたくさん来られたのでその話はまた別の日に。