ゆとりの退職
調理製菓の専門学校に行っていたので、新卒で飲食店のキッチンスタッフとして会社に入った。
配属されたのは梅田のカフェだった。
大きなお店で、ブライダルの貸切営業なども対応していて毎日なかなか忙しいお店だった。
一番お世話になったのは、途中からここのお店に移動してきた天才バカボンのバカボンに似た副料理長だ。バカボン副料理長はいつもメガネがずれていた。
ここのお店は男性スタッフが少なく、女性スタッフが多かった。なので、いざこざも多かった。
わたしはバカボン副料理長がやってくるまで毎日楽しくない仕事を、楽しくも楽しくなさそうにもしなくて、今日も平和に1日が終わりますようにと祈りながら普通に働いた。
入社した直後にお世話になった女性の上司3人はみんな移動や退職でいなくなった。
立場的に、バカボン副料理長の次にわたしという立ち位置になってしまった。
わたしは学生の頃から特に何も考えずに生きてきたので、正社員とアルバイトの違いをわかっていなかった。正社員になればアルバイトよりお給料がいいと思っていた。
入社してから、なにかと社員が決めるような話を聞いているうちに社員ってしんどいなって思った。
やる気いっぱいのキャラよりかは、働くことがめんどくさいタイプだったので、バカボン副料理長がやってくるまでは女性スタッフ達になにかと揉まれながら働いた。あぁ、やめたい、仕事やめたい。
そんなわたしをバカボン副料理長はありのままを理解してくれて、わたしのペースで働かせてくれた。
信頼されている実感もあった。
バカボン副料理長と働き出してからは居心地がよかった。しかし、ホールスタッフ、キッチンスタッフ、ベーカリースタッフと分かれているが、基本的に女性スタッフが多いことには変わりない。
やはり社会というのは、組織というのは、なにかとめんどうくさいことが毎日起こる。
人と人ですもの、仕方ない。
わたしはあまりキツく言われたりはしなかったが、誰かが不機嫌だとすごく疲れるし、誰かと誰かがバチバチしているのもすごく疲れる。
バカボン副料理長と働きたい気持ちと、仕事やめたい気持ちで格闘していた。
そんな毎日でなんだかもう働くのが本格的に嫌になってきて、働きたくなくて泣いた。
休憩室で、働きたくなくて、泣いた。
たまたま鉢合わせたスタッフ達は心配して声をかけてくれたりしたけれど、こんな理由で泣いているなんて言えないから大丈夫ですとだけ答えた。
次の日、毎朝仕込みにあるブラジル産の冷凍鶏もも肉2キロ6パックを下処理しながら、あぁ沖縄に行きたいな、あぁ沖縄に住みたいな、あぁ沖縄で毎日サンセット眺めながらのんびり過ごしたいなと思って、鶏もも肉の下処理を一旦やめて、パソコンをカタカタしていた店長のところまでいき、沖縄に住みたくなったので仕事やめます。と言った。
店長のことはあまり好きではなかった。もともとギョロギョロしている大きな目をさらにギョロギョロさせて驚いていた。急やな!と言っていた。
わたしがやめることに店長より上の人と相談したり報告したりしないといけないらしいので少し待つように言われ、後日マネージャーとお話した。
その頃には、暑くて日焼けするのが嫌なわたしは沖縄で暮らせるわけがないと思い移住する気持ちなんてこれっぽっちもなかった。
とりあえず引き止めるマニュアルなのかはわからないけど引き止めてくれた。でももう働きたくないから沖縄に移住する気なんてこれっぽっちもなかったけれど、もう移住すると決めたと言った。
バカボン副料理長には、正直に話したら笑っていた。
それから2ヶ月後、わたしは最後の出勤をした。
意外にもアルバイトの女の子たちがプレゼントをくれたり、お友達や働いてた人たちが会いにきてくれたり、絶対働いていて楽しくないんだろうなと思っていたアルバイトの女の子は泣いたりしてくれた。
もっとサラッと終わる予定がみんな色々言ってくれたのでつい泣いてしまった。
老後は北海道で生涯を終えたい。