ステージ
こんばんは、梅原エレナです。
私は、NiLUNLOCKというグループで今アイドルをしています。
ここは、そんな私の何気ないつぶやきだったり、
日記の様なものだったり、
私の感じたこと考えていることなどを
私なりの言葉で綴っていって、
少しみんなに心の中を覗いてもらう場所にしたいです。
突然ですが、私はステージに立つことが大好きです。
お芝居をすることも
踊ることも
歌うことはちょっと苦手だったりもするけれど
大好きです。
私の青春は小中学生の頃。
ダンスに無我夢中で、
踊ることは息をするのと同じくらい私の生活に必要不可欠な存在でした。
青森に限らず、仙台や札幌、東京までスクールに通ったり、レッスンを受け、
オーディションやダンスイベントに参加したり、
踊っていることが何よりも楽しかった。
中学生の頃、
ダンスの舞台劇団の1期生として活動することになりました。
私はその時初めて、挫折や自分に自信をなくした瞬間を感じました。
ステージに立つ人間として、
音を表現する人間として、
自分には責任も覚悟も足りてない。
今のままではステージに立つことすら許されないのだと
鈍器で殴られた様なショックと
泣くことしか出来ない自分の不甲斐なさに腹を立てたのを覚えています。
とにかく踊りました。
あの期間、靴を何足潰したんだろうってくらい
毎朝毎晩学校や習い事の時間以外はずっと踊ってました。
当時はそれしか出来なくて、それが正解なのだと信じて踊り狂ってました。
辛い、しんどい、出来ない、苦しい、もう無理かも。
そんな気持ちが沢山溢れてきて、何度も挫けそうになってました。
でも、私がその言葉を吐く度に、
母は何も言わずに背中を押して練習場まで毎日送り迎えをしてくれていました。
当時はなんで優しい言葉をかけてくれないのか、
もっと私の気持ちに共感してほしいと思っていたし、
お母さん冷たい、なんて思ってしまった事もあったけれど
それは私の為にならない事、
今自分自身で乗り越えなければならないものなのだと、
手助けをしないでくれていた母の優しさをとても理解できます。
私を強くしてくれたんだなって感謝の気持ちです。
あの時、とても厳しく、でも全ての言動に私たちに対する愛情を持って指導してくれた大人が、周りにたくさん居てくれたことをとても感謝しています。
舞台の演出の中で
最後全員がステージ上で倒れて死に、暗転して幕を閉じます。
ゲネの時、暗転し無音になったこの場面で
全員の荒い呼吸、啜り泣く微かな声が
静かな真っ暗闇の中聞こえてきました。
ステージの床から頬や腕に伝わってくる冷たさと
自分の吐く息の温かさ
(生きてる、このままずっとここに居たい)
私は今まで感じた事のないほどの幸福感と高揚感、
神秘的にも捉えられるその感情は、
ステージに恋をした瞬間でした。
あの時の感覚が忘れられなくて
またあの時と同じ感情を味わいたくて、
場所が変わっても、形が変わっても、
私は踊り続けていました。
とあるアーティストさんやアイドルさんの出演したイベントで
バックダンサーとして参加した時に、
自分がもしメインであのステージに立ったら
ここからの景色とは全く違ったものなのだろうか
一体どんな感情に出逢えるのだろうか
という興味から、自分もアイドルになりたいと思いました。
初めてのアイドル人生は、
想像していたよりもずっと厳しい世界で、
うまくいかない事も多くて、
毎日悔しい気持ちでした。
私のアイドルとしての初めてのファンの方が
『これから一緒に色んな景色を見ていこうね』
と伝えてくれて、
その言葉に何度も何度も救われていて、
私のお守りみたいなものになりました。
これからも宝物のように大切にしていきたい言葉を
送ってくれてありがとう。
そして、素敵なグループで活動できていたこと
沢山の愛情を注いでくれたファンのみなさんに出会って、色んな夢を見させてくれて一緒に全力で駆け抜けてくれたこと、
それぞれの場所が変わっても、歳をとっても、
どんな時も味方でいたいし、支えたいし、応援したいと思えるメンバーの4人に出会えたことも
私のアイドル人生の中の大きな宝物です。
このお話はまた別の時に、お話させてください😌
やり切った。そう思ったのは事実です。
それくらい、私は恵まれた環境でアイドル活動を全うできていました。
アイドルを卒業し、社会人として働きはじめ、
ただ淡々とタスクをこなし
目標を達成していく働き方が自分には合っているのだろうと感じつつ
とある気持ちが溢れてきました。
"またアイドルとしてステージに立ちたいな"
なんでアイドルじゃなきゃいけないのかはその時はわからなかったけれど
また衣装きて
もっと大きな会場でライブして
大型フェスにも出演して
ツアーもしたり
またファンのみんなと色んな気持ちを共有して
あの時の景色もまだ見た事ない景色も
アイドルの時に毎日感じていたときめきに恋焦がれて
憧れを妄想している時間がとても楽しかったし
その反面、アイドルはもうやらないと決意表明していた自分も最後を見届けてくれたファンの方も裏切る様で
いけない事をしている様な気持ちと戦っていました。
またアイドルをやりたいと思ってしまっている。
とモヤモヤした気持ちを、
10年間1番近い場所で私のことを見守ってくれていた親友のねむに相談した時、
『私はステージに立ってるエレナが1番輝いてると思う。
もう一度挑戦していいと思うし、私はずっとどこに居ようとエレナの味方だし、エレナはステージに戻っていい人間だよ。』
と言ってくれて、自分の気持ちに蓋をすることをやめました。
とてもありがたいことにタイミングだったり、
ご縁があったり、
NiLUNLOCKというグループの
新メンバーとして加入させていただけるチャンスを与えてもらえて
私はここに魂を捧げる覚悟を持って活動していく。
そう決めました。
7月10日のお披露目から1ヶ月以上経ち、
毎日がワクワクしているのは勿論ですが
それと同じくらい
プレッシャーも責任感も強くなってるのも事実です。
まだ始まったばかりではあるけれど、
焦りを常に感じていたり、
自分はメンバーにもファンの皆さんにとっても、必要な人材になれるのだろうか、
正直この選択が正しかったのか不安になる時もあります。
私の良くない所。
熱くなりすぎる、責任感が強すぎる、正義感が強すぎる、ストイック過ぎる、完璧を求め過ぎている。
良いところでもあって、それは時に毒にもなる。
そんな性格が時に私の首を絞めてきたり、
私らしさとか私の良さってなんだっけ?
夢を叶えるって言葉だけになっていないか?
NiLUNLOCKというグループが好きで
メンバーとファンの皆さんが大切にしてきたものを
私も大切にしていきたいし
全然まだまだ未熟者で新参者の私が
デカい口叩いてんなって思う人も多いと思うけれど
でも、NiLUNLOCKというグループで
私の、メンバーの、ファンの皆さんの、
全部の夢を叶えていけるようなグループになりたい
って思っているのは本当です。
NiLUNLOCKとして初めて過ごした夏
お盆休みの連続ライブ
みんなで挑戦したIDOL SUMMER JUNGLE出演権をかけた配信レース
新体制初の大阪遠征
こんなにも早くみんなとの思い出がひとつずつ増えていくことの幸せは当たり前ではないし
NiLUNLOCKというグループにいさせていただいてる事への感謝の気持ちを噛み締めて
私は明日もステージに立たせていただきます。
8月31日世間では夏休み最終日に
新体制初お披露目をさせていただく
『NEVER』
NiLUNLOCKをイメージして作詞作曲をしていただいた想い入れ深い楽曲である
とプロデューサーの美咲さんからも聞いておりました。
既存メンバーからもこの曲の大切さを共有してもらい
改めて私もこの曲への向き合い方を考えさせられました。
昔の私、今の私、どちらも大事な私であることは変わらないし
数学の様に確実な答えが決まった世界ではないからこそ
悩んだり踠いたりして
自分と向き合うことすら嫌になったり
逃げ出してしまいたくなる時も沢山ある。
でも、ステージに立ち続ける人間でありたい。その気持ちを疑うことはしないともう決めました。
どんなに挫けそうになっても
そんな時はいつも心の中で
『一緒に色んな景色を見にいこう』と唱えます。
『次は私たちでみんなを大きなステージに連れていこう。』
サマジャンの時、メンバーみんなで約束しました。
無理だとか厳しいとか
そんな言葉で諦めるようなメンバーではないことは
きっと皆さんが1番わかってくれていると思います。
今の私たちにも共感する歌詞であったり
新体制NEVERは
今のNiLUNLOCKの等身大な姿と共に
メンバーそれぞれの感情をぶつけられるパフォーマンスになると思います。
お待たせしました。
明日会場にお越しくださる皆さん、
私たちのNEVERを感じてください。