気まぐれひとりごと(死んだら見れる人生の“地図”)
手相を診てもらうといつも
「長生きするね」
と言われます。
どうも人より生命線が長いらしいです。
わたしの手のひらは小さい頃からお湯に浸かったみたいにしわくちゃで
母親から
「こんなにしわしわの手の人は人生苦労するよ」
と言われてきました。
そう言ってわたしの手を労るように撫でてくれる母親は
同じその口で
「アンタは苦労なんてしたことがないから性格が狂ってるんだ」
と罵ることもありました。
苦労してほしくないのか
してほしいのかどっちやねん。
今思えば
人間というものの理不尽さ
不条理さ
いい加減さに嫌気がさしたのは
母親と密接せざるを得ない
幼少期からだったと記憶しています。
年季入ってるぅ。
話を戻しまして。
なので自分の手相は悪相だと
信じて疑わなかったのですが
どの手相鑑定士に診てもらっても
「いい手相だよ」
と言ってもらえる不思議。
皺が多い=思慮深い
という表れなのだそう。
やだ照れちゃう。
ただ結婚線が無いんだって。
手相って侮れませんね(*¯︶¯*)フフフ
侮れないということは
じゃあやっぱり長生きしてしまうんだろうなぁ
と少しうんざり。
わりとそこまで信心深い人間ではないのですが
自殺は考え得る最悪の責任放棄だと認識しているので
到底するつもりはない。
つまり
「生きる」って苦行が
長く続くということなんですよね〜。
長生きってさぁ
どうしてしたがるの皆さん。
生きるって大変だし
つらいじゃないですか。
長生きすることがどうしてそのまま
幸せに繋がるのだろう。
まぁ人によって幸せの形って違いますからね。
つらく思うことも違う。
○○だから幸せになる
○○じゃないと不幸
なんてことも確かな正解はない。
一番不幸だなぁと感じるのは
固定観念や強迫観念に縛られること。
○○しないといけない。
○○でなければ幸せじゃない。
○○すると不幸になる。
人生の方程式なんてないはずなのに
そうやって形のないものを信じ
一心不乱に生きてしまうこと。
そういうのは不幸かなって
ちょっと思います。
わたしは人生ってある意味
“完成しない地図”
みたいなものだと捉えていて
完成するときは
自分の人生が終わるときなんだけど
後からその地図を見返したときに
(ということは、死後の世界はあると考えていることになりますね)
ある程度読めるようなものになっていれば
それで万々歳なんじゃないかなって。
わたしの場合あんまり
あちこちうろうろしなきゃいけない
そんな複雑な地図は作りたくなく
一本道真っ直ぐドーン‼
な地図を作ることが目標だったりします。
手のひらはしわくちゃで複雑な模様だけど
潔のいい
単純明快な地図を作っていきたいです。
んま
ひとつ言わせてもらえば
読みにくい地図を作るも読みやすい地図を作るも
自分の生き方次第なんですけどね。
考え方ひとつでさ
自分が捉える世界って
驚くほど変わるんですけど
自分以外の捉え方に縋って
生きちゃう人たちが
結構多いんですよねぇ。
せっかく自分の人生なのに
もったいないな。
それでは今日もいちにち、ご無事で何より。