気まぐれひとりごと(スピリチュアルなんて信じていなかったわたしが信じるハメになった出来事②)
よくよく考えると
自分たちの住んでいる地球の『深海』のことすら
まだよく分かっていないのに
底知れぬ『宇宙』のことまで気にする人間て
いったいなんなんやと。
まぁ未知のことを考えるのって
楽しいですよね。
それはそうと
とある脳科学者は
「人間の脳は宇宙の謎にも匹敵するほど未知数だ」
と例えたことがあるそうで。
確かに
人間て一生のうちに使っている脳の力の
3割程度しか発揮できないらしいですし
しかもこの3割って
世で言う『天才』レベルらしいですし?
それなら凡人の中の凡ゝ人のわたしなんて
1割も使えねぇってことじゃねーかと。
だからといってどうにもできぬしなと
まぁ考えるとキリがありません。
そんなことはどうでもいいんですけど。
前回お話しした
不思議な男性・Sさんの件の続き。
何故か妹の身に起きた一連の出来事を
知っていたSさんのことを
わたしは正直
「何この人怖い」
と思うようになりました。
エスパー的な怖さというより
ストーカー的な怖さを感じたためです。
人生で初めて
車に盗聴器的な物を仕掛けられていないか
調べたのもこの時です。
自意識過剰万歳(もちろん何も無かった)。
Sさんのことなので
わたしの心の機微には気付いていたと思います。
その後ぱたりと
そんな話を持ち掛けてくることは
ありませんでした。
しかし
Sさんの能力を本当に知ることができたのは
実はわたし発信でして。
ある日
同じ職場で仲良くしていた女の子が
星座占いの話を毎朝してくるので
元よりそういうものを馬鹿にしまくっていたわたしは
世間話程度に
「あんなん当たったらえらいことになりますよね〜。山羊座が全員その日運勢最悪だったり最高だったりするんかい」
とか笑って言ったら
Sさんが意外そうに
「麦さんもそういう話をすることがあるんだ」
と言いました。
なんか全然その手のことには
興味無さそうに見えていたらしいです。
実際無かったんですけども。
わたしは
「○○ちゃんが毎朝自分の星座占いの話をしてくるもんで」
と言い訳?したら
「なるほどね」
と得心がいった様子のSさん。
わたしはふとSさんの不思議な一面を思い出し
訊いてみました。
「Sさんも占いとか信じるほうですか?」
むしろ占ってるほうですか?
とはさすがに訊けませんでしたが
Sさんは
「いや、まったく」
と意外にも首を横に振ります。
へぇ。
「でも占いは“統計学”としては信憑性があると思う。さすがに星座占いは、数打ちゃ当たるみたいなものだけど。でもね、インドの星占術はかなり凄いよ。天文学的な計算術でその人の運勢を導き出すからね」
めちゃくちゃ難しい話が飛び出してきた。
でも何その感じ…興味あるぅ!
「インドですか〜。単にイメージですけど確かに神秘的ですよね。あのビートルズも一時期はまったみたいだし。でも占いって当たるも八卦外れるも八卦が定石でしょ?」
「そりゃ、外れることもあるよ。運命も運勢もその人の生き方次第でいくらでも変わるからね。占いはあくまでも“指標”であって、信じることで情緒が保てるならすべてが無駄でもないんじゃないかな。○○ちゃん、いつも楽しそうじゃない」
○○ちゃんはものすごく恋愛脳な女の子で
毎日星座占いで彼氏との相性を確かめ
一喜一憂しているような子でした。
今考えると何故仲良くできていたのか不明です。
全然価値観違ったのに。
「麦さんの良いところだよね。そういう視点っていうか、考え方。結構珍しいタイプなんじゃないかな。友達や恋人できにくいでしょう」
なんで分かるねん。
あ、エスパーだからか。
そうか。
「孤独死まっしぐらだと思ってます」
「孤独死だからって悲惨なばかりでもないしね」
「そうなんですか」
「そうだよ。悠々自適に一人の時間を楽しんできた人が“明日も平穏な一日だろう”って寝たら、目を覚まさなかった。一人だから発見が遅れた。遅れたから一見現場は凄惨なように見えた。意外にもそういうケースの方が多かったりする。目の当たりにした人や関わった人が大変なことに違いはないけれど、亡くなる本人はいたって平和」
「なるほど」
「思うに、世間が騒ぎ立てすぎるんだよね。僕には不思議で仕方がないよ。どうしてあんなに人々の不安や、動揺を煽ることばかり触れ回るんだろう。悪いケースもあれば、悪くないケースももちろんあるのに」
人間は自分たちで自分たちの首を締めている。
そんなふうに感じる。
そう言うSさんの目は少し奇妙で
そういえば時々
何を何処を見ているんだろうって
視線を向ける人でした。
今でもたまに
そういう視線の人と会ったりします。
そういう人ほど
ものを多くは語りません。
「Sさんも、孤独死まっしぐらですか」
言い方ー!
と思われるかもしれませんが
この時わたしは
こういう言い方のほうがいいのかなと
なんでか感じたんですよね。
普段はもう少し
気を付けているんですけど。
予想どおりSさんは
「まっしぐらだねぇ」
と笑ってくれました。
なんだか仲間ができたみたいで
ちょっと嬉しかったのを覚えています。
「麦さんは違うけど、僕は確実にそう」
「そんなことも分かっちゃうんですか」
「これは予知とか八卦とかじゃなくて、僕がそうしようと決めているから。畳の上で死ねたら超ラッキーなんじゃない」
「畳の上でいいんですか?この際施設のベッドとかにしましょうよ」
「ああ、今はそうか。そうだよね。そのほうが周りにあんまり迷惑かけなくて済むしね」
お金貯めないとだねぇ
と二人で笑い合いました。
自分の末期の話で笑うとか
鬼が笑うどころじゃないです。
「僕はねぇ、前は結婚してたの。奥さんが大好きでね。幸せだったな〜」
「大好きなのに、なんで別れちゃったんですか」
「絶対に不幸にしてしまうって分かっていたから。若かったからね、それでも二人で生きられるならいい!って結婚したけど、やっぱりね…抗えなかったよね〜」
Sさんの人生は業が深すぎて
Sさんの側に長くいると
それだけで相手を業の渦に取り込んでしまう。
『業』というのはそういうものだと
Sさんは教えてくれました。
「いったいそれほどの、何をしちゃったんだろうね〜僕の血筋は」
Sさんはとある地域から
めちゃくちゃ凄い力を持つという
北関東のある人に
どうすればいいのか
教えを請いに来たのだそう。
その人は高齢のおじいさんで
確かにひと目見ただけで
とんでもない人だと分かったそう。
でもぱっと見は農家のじいさん。
そんな人。
真実はそんなもん。
とSさんは言いました。
「だけどねほんとに、凄い人だったの。僕を見た瞬間にね、“アンタはもう駄目だ。どうにもできないから諦めなさい”って言われた。けれどその代わり、僕の代でもう終わるからって。僕の今生の役目は“終わらせる”ことだ。身内が代々背負ってきた業をぜんぶ引き受けて、死ぬときに持っていく。それで終わる。そういう役目。だから子どもは作っちゃいけない。作れないの」
あんまりにも荒唐無稽な話すぎて
そんなの映画の世界じゃん
と思いました。
が、訥々と話すSさんを見ていると
なんでかストン、と腑に落ちるのです。
「そんなの理不尽じゃないですか。Sさんは何も悪いことしてないのに」
「ありがとうね。でもそういうものなんだよ。理不尽って思うのはこの世に生きている人間だから。本当はぜんぶ、理にかなってる」
Sさんはおじいさんにそう断言された後
すごーくショックだったけれど
すごーく納得して
とっても身が軽くなって
もてなされるままにおじいさん宅でお茶を飲み
晴れ晴れと過ごしたそうです。
ちなみに鑑定料(っていうのか?)はお気持ち。
いくら払われても払われなくても
文句は言わないスタンスだったそう。
おじいさん曰く
「俺のコレは何も減るモンじゃねぇから」
だそうで
本当に素晴らしい人だったとのことです。
Sさんはひとまず10万円用意していたそうですが
「そうかぃ?何もしてやれなかったのに…じゃあ悪いけど、今晩の夕飯代の3000円くれるかぃ?あ、あとこのじゃが芋持ってってくれや」
と言うので
規格外で売れないじゃが芋を
たくさんお土産に持たされたのだとか。
「3000円じゃ絶対足りないよねぇ」
とSさんは笑っていました。
「それでようやく諦めがついた。僕はこのまま寿命が尽きるまで、僕の人生を生きていく。それで平穏に死ねたら万々歳だね」
「すごい」
「麦さんもね。たぶんこの先、大変なことがたくさん起こるから。正直人間の歴史も、そう長くは保たない気もするんだ。まぁ文明は繰り返すものだし、地球レベルでなのか人類レベルでなのかまでは分からないけど。そう考えると一端の家系の終わりなんて、小っせぇものでしょ?それにいつ終わりが来るか分からないからこそ、その時まで鬱々と過ごすなんてもったいないじゃない」
Sさんとそんな話をした数ヶ月後
東日本大震災が発生しました。
わたしの地域は揺れによる被害が大きく
しばらく仕事も休みになって
ようやく復職できたのは
震災から半年後のことでした。
Sさんは派遣社員が復職する少し前に
その職場を辞めてしまっていました。
お互い登録していた派遣元が違ったので
それから10年以上が経過した今となっても
Sさんの所在は分かりません。
その間、色々なことが
世間でも自分の身近でもありましたが
今この瞬間
平穏無事に過ごせていることに
感謝が尽きない毎日です。
もしかしたら
Sさんのことなので
わたしがSさんのことをネット上で
いつか書くだろうと分かっていたかもしれないので
この場をお借りして
Sさん。
見てくれていますか。
お元気ですか。
お体は大丈夫でしょうか。
五体は満足ですか。
わたしは相変わらず
粗忽者のまま
どうにかこうにか生きています。
孤独死まっしぐらな未来は
おそらく避けられないでしょうが
支援サービス付居宅老人施設で
穏やかな最期を迎えることが
今の目標です。
それまでに人類が
絶滅しないでいてくれることを願い
お猫たちと家族の健康と幸せを願い
空腹が満たせて
温かな寝る場所があることを
感謝する毎日です。
それもこれも
Sさんが教えてくれたことのおかげです。
Sさんとの出会いがなかったら
わたしは今よりもっと
自己中な果報者になっていたことでしょう。
Sさんもその後いかがですか。
Sさんなりに幸せにされていますか。
そうであれば嬉しいです。
あの日あの頃
本当にありがとうございました。
あ、妹もおかげさまで元気です。
まだたまにプリプリしてますが(笑)。
いつかまた
どこかで会えたらいいですね。
それでは今日もいちにち、ご無事で何より。