心は傷つかない‼️
もっと強く逞しく生きて行こう‼️
「心が傷ついた 」と相手を攻撃したり、自分を庇い過ぎていませんか?
よく「私はあの人によって心を傷つけられた」「心に一生の深い傷を負った」というけれど、心とは一体なんなのか?
ほんとうに心は傷ついているのか?
見た人はいるのか?(笑)
目に見えない心の傷?と、目に見える体の傷の違いとは?
もし仮に心が傷ついたとして、それが病気の原因になっているのか?
私たちは、自分を守るため、相手を責めるために〝心の傷〟を利用してはいないか?
心とは強いもので、どんなことがあっても決して傷つくものではない、のではないか?
そのことを知れば私たちはもっと強く逞しく生きて行けると思うのです。
本文
心や魂は傷つかない(斎藤一人さん)
よく、「魂が傷ついた」とか「心が傷ついた」とかと言う人がいます。
たとえば、小学校の30人学級に刃物を持った暴漢が入ってきて、3人が怪我をさせられたとします。
そうした事件が起こると、残りの27人の生徒も「心に傷を負った」などと言われます。
その27人に対して、精神的な後遺症を残さないためにもカウンセリングをする必要があるということになります。
これが戦国時代だったらどうでしょうか?
30人いた子どものうち1割も怪我をさせられたのに、無事だったとしたら実に運が良かったとなる。
「どんな危機があっても絶対に死なない人間になるよ」と言われたかもしれません。
そういうふうに、昔は子どもを育てていたのです。
私は何を言いたいのかといえば、よく「心に傷がつく」と言うけれど、ほんとうは心に傷はつきません。
なぜかといえば、私たちは、「神様の分け御霊(みたま)」をもらっているからです。
神というのは、愛と光の塊なのです。
つまり光なのです。 光が、私たちの生命体の本体なのです。
光は絶対に傷つきません。 何をやっても光に傷をつけることができない。
ここで映写機を📽想像してください。
映写機は光源を持って光を発して、フィルムを通り、スクリーンに映像を映します。
この映写機から発する光が命であり、魂であると考えてください。
つまり映写機から出る光が、フィルムを通ったスクリーンに映ったときに、いろいろな映像が現れる。
光に傷がついているから、映像に傷が現れるのではありません。
もし映像に傷がついているようならば、フィルムに傷がついているのです。
要するに、心や魂ではなく、考え方というフィルムに傷がついているのです。
考え方に傷があれば、傷のついた現象が出てきます。
その現象を見て、「ああ、やっぱり傷がついているんだ」と心に傷があると勘違いして、またさらに心の傷が深くなったりする。
そんなふうに思い込んでいる人は多い。
だけど、心は傷つかないのです。
それは、単なる考え方というフィルムなのです。
同じことに遭遇しても、心に傷がついたと言う人もいれば、まったく傷つかないと言う人もいるのです。
これこそ、心には傷がつかないという証明みたいなものでしょう。
たとえば、小さいころ高い階段から落ちてとても怖い思いをしたけれど、怪我一つしなかったとします。
その怖い思いを、高所恐怖症などで、ずっと心の傷として思い込んでいたとします。
でもある日、
「あんた、運がいいんだよ。ちっちゃいときにそういう経験したでしょう。でも怪我一つしなかったよね。 だからあなた、すごい人に護られているから、すごい得なんだよ」
と言われ、「あっ、そうなんだ」と思ったときに、その人の考え方は変わります。
心に負っていた傷など、忘れてしまいます。
あくまで考え方です。 心ではないのです。
最近は、「これで傷ついた」「あれで傷つけられた」と騒いでいる人が多すぎます。
しかし、一昔前の人だったら、そんなことで騒ぎません。
たとえば戦時中、隣の防空壕は全滅したけれど、自分の入っていた防空壕は平気だったとか、そういう経験をみんないっぱいしています。
そんな経験をしても、みんな平気で生きてきました。
おばあさんなんかに話を聞くと、同級生が機関銃で撃たれたとか、平気で話します。
でも、そのおばあさんの心に傷などついていません。
心の傷などにかまうよりも、戦時中、生き残れてよかったと思っています。
ところが、今はちょっとした事件が起こると、すぐ心に傷ついたというような話になってしまいます。
そうではなくて、心は傷つかないのです。
話は飛ぶようですが、私は中学校までしか出ていません。
自分の学歴を気にして、「中学しかでてないからだめなんだ。学歴がないからうまくいきそうもない」なんて言っていると、実際にだめなことが起こってきます。
ところが、自分は社会に早く出ることができて得だと思えば、実際に得なことが起こります。
要するに、「だめだ、だめだ」と思っていれば、だめなことが起こる。
「自分は得なんだ」というフィルムに差し替えれば、いいことが起こるのです。
『普通はつらいよ』斎藤一人(著)
