お前も生保ニートにならないか?
学生の頃から「勉強には意味がない」とよく言われた。両親もその口だった。仕事の役に立たないからだそうだ。
「勉強」という至上命令は、僕の青春に伸し掛かり続けたが、彼らにとって、労働はそれより上位に値するらしかった。それは恐らく金に奉仕するからで、特に資産を保有しない庶民にとって、唯一の経済合理的行動だからだろう。
本当だろうか。僕が生活保護でヌルヌルNEET生活をしていることに、少なからず怒りを抱く人間がいる。あなたの怒りは何処から?
◇
労働は、単に生計を立てる手段ではない。それによって貢献し、評価され、自分の価値を見出す。ある種の自己実現へと歩む。これは、今に始まったことではない。学生の頃からずっとそうだった。あの頃は、勉強や運動が法だった。
人間は巧みに自己を家畜化してきたし、世界は巧妙にデザインされている。徹底的にビッグブラザーのデザインから逃れられない。お前は結局、何がしたいの?
才能と環境と努力が三位一体となって、家畜を作る。しかし、そういう人間に、二本足で歩いて行け、というのは難しい話だ。逆の人生を歩むにも、同様に、全てが必要だからだ。普通の人間には、そういう人生は歩めない。安心できないからだ。
結局、不安なんだと思う。それに何か現実的な理由付けはない。ただ漠然とした不安が与えられ、それを誤魔化す為には大きな意思が必要で、そこで歯車に徹する他ない。
それは唯一の救いであって、隣人が同様に家畜化されないこと、回し車を回さないことは、徹底的に不幸なのである。子羊には子羊の幸せがある。
しかし、もはや国家的幻想はなく、経済状態は悪く、黙ってハムスターに徹することは出来ない。寧ろ、その方が不安だろう。しかし、何かオリジナルな人生を、強力な意志でもって歩むことも出来ない。
◇
では素晴らしい提案をしよう。お前も生保ニートにならないか?
先述の通り、結局、その飢えを満たしてくれるのは、貢献や評価や達成であって、労働ではない。それは幾らでも代替できる。
別に金を払ってオンラインサロンに入らなくて良い。Youtubeでコメントするだけでも、人は帰属を感じられる。それは2chでレスバするのでも、Twitterで#ツイートするのでも、何でも良い。もはや職場に替わって馴れ合える場所は無数にある。
ここ10年で、生保は全く別の仕組みになった。それは、偏にSNSの進化による。人はパンのみにて生くるにあらず。しかし、今や、エンタメもコミュニティもネットにある。
生活保護は、もはや福祉ではない。幸運にも現代日本に生まれた人間が有する、1つのオプションだ。これは全ての人間に開かれている。犯罪者でも、保護を廃止された人間でも、エリートでも。
医師免許を取れとか、何か商材を売れとか言っている訳では無い。必要なのは情報と選択だけだ。受験や就活とは違う。真の平等がそこにある。
◆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?