刺し墨 前編
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賑わいをみせる通りの筋道を一本違えて裏手に入ると、幾分人が少なくなる。
軒下の影の格子から幾つもの遠からぬ声を耳にしながら、それぞれの並ぶ商家、宿、居酒屋を過ぎてゆくと、宵の暗さに誘われてか、歓楽の春と思わせる朱赤(しゅあか)い極楽をみせる所を酔い心あるように抜けると、いきなりばったりと神社の裏手に出たような暗い通りにでる。
そこは、嘘くさいまがい顔をみせる商家が所々あり、しだいに人の集まった長屋の様相をみせてゆきながら道は狭幅(せばま)り、行き止まりの左手前の道を横に入り、しばらくゆくと山に通じる木々ばかりの道は、旅人や飛脚が使う道であり、その道を右手にそれ、弧を描いた橋を渡ると身構えのある家と言うよりは、屋敷を少し小さくしたような家を目にする事ができる。
そこは、幼子ばかりを集めた娼家であり、この娼家には、呼び名はなかったが、ここに訪れる者達の間では、密やかに「金鈴」(きんれい)と呼ばれていて、その娼家の子には、皆刺し墨があった。
そして今日、その娼家に小さな子が連れてこられた。
黒く目の大きい二重の切れ長の子で、その日からひと月たった頃、その子の下肢(内股に足の付け根)、背中、胸部、肩に脇腹の後ろ等に、散らし紋が入れられた。
ここ娼家の主は意を正したような男で、こんな所にとてもと思えるような人物だった。
事実、物言いも柔らかで、どこかの大店の主人で通りそうな程で、幾度となく足繁く通う者でも、不思議なように見えていた。
また、この主には源詠(げんえい)と言う名があったが、ここ娼家に訪れる者で、その名を誰一人として呼ぶものはなかった。
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ここ娼家には、お抱えの刺し墨師がいた。
この刺し墨師、歳を言わぬので分からぬが、見た所中々と若く、居は娼家から幾らか離れた所にあり、子らの刺し墨は、そこでおこなわれた。また、この刺し墨師、名も雅号も回りのものは知っていたが、主以外は呼ぶものはなく、人の口には墨師と呼ばれていた。
刺し墨は、皮膚に針を使って色を入れていくので、痛くないわけがない。
最初に、主が、子供に一応言って聞かせはするが、子供であるから言うことは聞かぬ。だから、もう最近では、最初に薬を与え、刺し墨をする。が、まぁ、それでだめであるなら、箇所によって手伝いの者が押さたり縛ったりということになった。
ここ娼家の子の刺し墨は、多様多種にとんでいるばかりか、普通には見ないものであった。
背に鱗は羽根つけたように入れ、それでいて尾ていから薄紅(うすあか)い鱗を下に向かって入れた子や、首や肩に腰、足の裏にと黄桜が入った子、飛ばぬ青い羽衣(うごろも)をつけた子や、首や肩、尾ていに足に火紅(ひあか)な痛みをつけたような傷をみせる紋や、また、中々と見られない五色(赤、黄、青、白、紫)の紋をつけられた子がいたりとで、墨師の腕を見るにも中々の物であった。
その中でも、背に腕に足にと無数の金の蛇を入れられたこの絵図は見事であったが、その子は刺し墨の痛みからか、恐怖からか、その両方からなのか女のあらを出したような荒れ方であった。
それは、帰ってからも同じ事で、その子は布団の上で痛い背を上に向け体を伸ばして寝ていた。そこに、主が来ると皮膚に残っている針の痛みがありながらも睨みつけ、子とは思えないような挑みのある目であった。その目は、主に何かいい終えたかのように元にと戻した。
主は、顔には出ないでいたが、存分に満足をしていた。
そして、その金の蛇のこの最初の夜は、客と悶着のあるものであり、手足に枷をつけられての事となった。
翌日、主が言って聞かせるが、その段になると言い聞かぬので、それ以降も枷をつけての事となり、客は薄地ある皮膚に、その浮いた金の蛇を舐めるように数えるのを好むと、目の威強さとで直ぐに噂に上がり、ある城主にと買われていった。
この娼家には、幼な子の風体と紋を頼みに来る者や、座敷の興にと買いに来る者、又、話の折々に何処かの城主、又は、金のある娼家に頼まれての事と貰い受けられる子もいたりとで、そんな所に買われれば、楽しい暮らしもありようが、後のこと一切知れるものであった。
もう知れた事ではあるが、ここ娼家では、来ると同時に名を貰いも紋がつくと、ある期間をおいて座に上げられる。
ちはやと名付けられた散らし紋(舞う桜)を入れられた子は、よく手足を赤くしていた。
墨師は、何が気に入らないのか、その子をよく打ちつけ、または、転ばせたりしたり、今も、雨の止んだぬかるんだ土の上で、小さな手を踏んた。
墨師は、手を踏みつけながら、子を見る。
子は痛みながらも、男を見る。
それが、幾らか続いたかと思う、墨師は足を離して踵(きびす)を返して行くと、子は起き上がり泥をつけたまま、墨師の後をついて行く。
子は二歩、三歩と少し歩き、歩くと止まり、墨師が遠くなると、たったったったと小さく走る。そして、近くなると、又止まり、又少しと歩く。
そんな繰り返しで、墨師が返り見すると、子は少し身を引いたようにびくりとするが、ゆっくりと自分の両の手を墨師の方に出していた。
所々赤く切れた泥のついた小さな手に、墨師は見ても見た顔もせず、また、元に戻って歩く。
それは、それでと子は、また繰り返しついていくが、どうにも一回りしたらしく、娼家の庭の井戸の所まで来ると墨師は、桶を落として、何杯もの水を子に掛け泥を落としてやり、 「着物を出してもらえ」と言う。言って、子の背中を押す。
それを、遊ぶのを止めて見ていた年上の子が、その子の手を取り中に入ろうとするが、子は素知らぬ振りをする墨師を見たまま娼家に入って行った。
そこに主が来たので、墨師は縁に座って主に話し始め、着替えた子は、二人の近くで石を手に取り、土に絵を描き始めた。子には2人の話は聞こえていても、話している事はわからないでいた。
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それから、しばらくして、或る日一人貰われて来た。
色の白い子で、首の右横、後近くに蝶の形のようなと見て取れる朱紋(あざ)があった。それは、生まれついての物らしかったが痛々しいように見える朱紋と、又、そのもつ色の白さから、 「また、よくあった子が」と皆が言った。
そして、その子は十夜と名付けられ、左脇腹の少し上から回って、背の方にと白い蛇を入れられた。
ここ娼家では、皆、来てから間もないうちに刺し墨をする。
それは、ここ娼家の儀礼であると同時に刻印であった。
ここ娼家の刺し墨は通常と違う。
薄彫り、又は、浮き彫りと言って、上気した皮膚に出る。ただ、上気と言うのではなく、それにも色々と細工がしてあり、中々全部とは見られない。客は、その紋見たさに足繁く通い、自分は何を見たかと自慢げに話をし、聞く人間もそれに習い、後が立たないでいた。
それから行く日かして、又、一人貰われて来た。
その子も、色の白い子で、蝶の朱紋を持つ十夜と同じ白さに加え、様子や背格好も似ていることが、その子の体に左右を返したように、同じ紋を色を違え、蛇は黒く、邪のあるように、首の紋は浮かして違わずに入れられ、同じ字で十夜(とおや)と名付けられた。
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月が変わり、又、一人連れてこられた。
連れて来たその男が、娼家に上がらず、一度も頭にか被った傘を取らずにいた。
それは、いつもの事ではあるが、普段になく深く長く、主に頭を下げていた。
その男は、間引き屋(まびきや)であった。
ここお抱えのと言うには語弊があるが、この道への案内人であり、子供の器量を見て高い金で買う者であった。
親は子に一抹の願いをかけて口にと出すが、女の子の器量の良い所を見込み、この男に渡りををつけるとなると、金が尋常でない事は親としてみてとれるものであるが、こういう時の親は性根のない顔をするものであった。
この娼家に連れてこられた子は、皆傘をとらずとも分かるらしく、子は覚えのある者を見ると、寄ってゆき、道々、少し付いてくる。
そして、刺し墨の事を口にもするが、 「菓子が食べれるよ。お花の形しているの」と、嬉しい楽しい事を口にする。
それとは別に、座敷に上がった事のある子は、どの間引き屋を見ても、何を思うのか、つまらぬ顔を見せていた。
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墨師は、迷っていた。この間貰われて来た子の紋に。色味のない子で、幾分吊りぎみの目の色が薄く、薄い色の口をもつ子であった。本当の所、紋が決まらぬと言うのではない。決まってはいるが、いつもの墨師にしては、立迷ったように考えていた。
そう、長くない子であった。
それは、道々と分かった事らしく、間引き屋が、深く長く頭を下げていたのはそういう事で、墨師は迷い、何度かふれたその子の指を持ち、意を詰めた。
その箇所は、皮膚にとっても痛い所でもあり、今までの刺しよりも日を必要とした。首や肩、手指に足首からと、薄くきらめく鱗をとちらしていった。
浮き彫りと言っても、上気した皮膚にと出る。
子供である。
外で遊ばぬ事はない。
幾ら、街から離れていようとも、川には行く。
川には、他所の子も来よう。
見て分かろうし、見て知れよう。
子供とは思えぬ冷たい体に、手は進み、彫りは皮膚についてゆき、着物で隠れる部分には、薄黄色い鱗に染められていた。
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そんな或る日、狐が化けたのではと思えるような女が、娼家の前に降ってきたかのように倒れていた。
表の音にびっくりして、中の者が行くと、女は気を無くしていた。着物はいたみ泥が付き、所々破れていた。
その女、酷く信じられないような色の白い肌を持っていた。中へ運び手当をしようと思い、着物をとると体中打ちつけような、矢でもかすったかのような跡が無数にあった。
この娼家、町から外れた所にあり、山の麓に近い所にあった。
この日、武家の者達が、野や山で狩りをしていて、主君が白い狐を逃がしたといった事もあり、そこに居合わせた客達が、その白い肌と美しい面とで、皆、狐ではないかと噂を立てた。
幾日かして女は気を取り戻したが、何も答えない。主も傷が酷いので、数日何も言わずにおいた。それから、二言、三言は、言うようになったが、肝心な事はやはり何も答えない。
ただ、女の生気が返ってくる毎に威圧と言うのではないが、こちらが、そうするのが普通と言う気にさせられる所があった。
その間、娼家は賑わいを見せていた。
狐ではないかと言われている女を一目見ようと、娼家の客は増えていた。然し、これがまったくと目にする機会がない。で、ここの子らに客は話を聞く。確かに居ると言う事はわかるので、常連の者や金を持っている者は、主に願う。すると主は、
「確かに噂の話とは合いますが、私も一日と居ます。どこから見ても人間です。うちはこういう所ですが、あの女の方の氏素性がわからなくとも、病人です。助けたと言っても、うちの持ち物ではありません。見世物にするわけには、参りませんのでご勘弁を」と断られる。
主の言うことはもっともで、また、娼家の主と思えぬ程の意の正しさを見せる所があり、客も無下な事は言わなかったが、それでも、何れはと、後をたたないでいた。
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そして或る日、主が、女に言った。
「ここがどういう所か、おわかりでしょう。 私にも情けはありますし、助けた手前、何も期待はしておりません。しかし、傷も十分に治られて今、氏素性名乗らぬ方に、長々と居てもらうわけには、参りません。どういうご事情でかは存じませんが、何も言わず、まだ、このまま居たいと言うのであるなら、お店に出ますか。あなたでしたら、見物料でも••• 」と主が言いかけた所、女は、すくり立ち上がり、店の方にと歩いて行った。
それは、不思議だった。
誰もが、身丈のある女が自分の横を過ぎてから気づくと言う様は、静かな波が遅れてやってくるといった感じで、客がいる広間の襖は開いており、廊下を歩いていた者、襖近くにいた者は、少ししてから、誰もが振り返り釘付けとなった。
女は、戸口に座ってる馴染みの客の手を、白い肌をもつ足で踏んだ。
客は、びっくりして振り向くと、信じられないほどの白い肌の面を持つ女に驚き、これがっと息を飲んだ。
女は、足に力を、客の手を捩り踏んでゆきながら、少し屈み、 「どうです」と言ったかと思うと、きびすを返して奥へと行き、客は踏まれた手と気配のない女を不思議そうに見ていたかと思うと、慌てて奥へとついて行った。
そして、女は一つの部屋に入り、敷かれた寝間の上に降りた。
女は、男に手招も何もしないが、幾分、前の着物をあける。
客は、襖を閉めたまま、動かないでいたが、塗られたような白さをもつ肌が不思議に思い近づき、涼しいような美しい面に、ようやっとふれ、女は何事か客の耳に囁き、客は女の囁きを聞き取れてもいないのに何故か返事をし、客は反してとゆうべきなのか、女の見た目より柔らかな温かい生身に酔い心地のように抱きついていくと、女は身をかわし、男の上に乗る。見た目よりも身の軽い重さに驚くも、女が男の頭の上に手を置いて押さえている事に気にならず、はだけた胸や下肢が現れると、客は女の黒い門に指を合わせて滑り入ると、客は急に冷水を被ったかのように硬くなった。
ここまで眩むような思いできたが、客は「本当は」と、「化けているのであるなら」と思え、急に金を放りだし、苦しいままに出て行った。
それが、この女に、ここ娼家にと居着かせる事となり、この話はすぐに流れ、客に「稲荷様」と呼ばれるようになった。
稲荷様と呼ばれるようになった、この女店先にと並ばない。客が女を選ぶではなく、女が客を選ぶといったものであった。
どういう事かと言うと、客の集まった所に、この女が足を運び客に声をかける。
声をかけられた男達の中には、部屋に迄行かない者も多くいた。
「俺は、そんな事はないぞ」と胸を張っていた者達も、女の面が近づいただけで、慌てて懐から金をだして出て行く者、部屋まで入っていっても、とても事足りぬ時間で出て来るもの全員で。
皆、金だけは出していく。
それが客の間で、噂が噂を呼び、肝試しでもするかのように、後を絶たないでいた。
然し、この稲荷様と呼ばれる女、人を下に敷くと言うような、怖いような素っ気なさがあるが、娼家の子らに手招や合図をする訳ではないが、子らはふれなうように寄ってゆく。
また、子らと遊ぶとき、縁に座って見ているとき、目に優しい顔をする。
主も墨師も、そんな様子を見ていて、口にはしなかったが、ほうっと口の中で言葉が丸くなり、顔を見合わしていた。
また、この女、依然として名前を言わぬ事から主や手伝いの者達から、あの方と呼ばれていて、手伝いの者達はあの方に用があるときは、御参りや神社の鈴でも鳴らした後頭を一礼するかのように、女の顔を見る事はなかった。客は主の前で、ついうっかりと稲荷様と呼んだ後、口を紡ぐ者や、まあ良いではないかと風を流したように口にする者、城主の使いの者などは稲荷様と呼ばれる女が居着いたとなると縁起が良いではありませんかと、うちの城主も一度目にしたいと言っておられると色々であった。
主も、まぁ女もそう長くもいまいと、苦虫でも噛んでいるかのように思うも許していた。
そして、主に後悔を思わせた、その日は秋の水につかったような風が吹く以外は、いつもと同じ小鳥が明るうなくは空の下であり、そんな折、庭で遊ぶ子らを立ったまま見ている女に主は寄り、
「可愛いいですか」と聞くと、
「手毬のように」と静かに、女はよく切れる刃物のような目線を主に向けた。
それをを見て、主は(ああ、しまったな)と思い、聞いていた墨師は、空を見ぬように帰って行った。
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