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小説「芙美湖葬送」ある老人の哀妻物語

無差別切り出し掲載ー医師は時間の問題だといった


いまも新型コロナウイルスが流行している。

老人が掛かれば、たぶん肺をやられるだろう。どんな病気であれ多くの老人は肺炎で死ぬ。芙美湖の場合もそうだった。長い病だった。俗に膠原病といわれる。自己免疫疾患である。ステロイドを多用した。かから体がボロボロになった。

そして行き着く先が肺炎である。

ナースステーション脇の部屋に移された。「面会謝絶」の札が掛けられた。

最初の気管挿管が行われた。その時まだは意識はあった。芙美湖は恐怖で抵抗し失敗した。ぱぱ、なんでこんな酷いことするの?医師の指示なんだ。頑張ってくれ。このままでは呼吸が出来なくなる。だから人工的に酸素を送り込むしかない。

頑張ろうね。芙美湖は首を横に振った。

主治医に拠れば、挿管自体炎症の原因になる。だからやりたくない。でも自己呼吸が出来なきない。挿管しかない。それも一週間ごとに菅を取り換えねばならない。

肺炎菌の他にさまざま細菌が肺を侵している。常在菌までが悪さをするようになった。だから自己呼吸はとても無理だ。器官挿管で人工的に酸素を送るしかない。それも一週間が限度である。抜管して管の交換をしなければならない。

コロナで話題のエクモはまだなかった。あったのかもしれない。確か鉄の肺といわれた。大学病院以外には置いていない。高価な医療機械だから一般には使えない。一般は器官挿管で人工的に酸素を供給するしかない。


 なぜ抜管するか。管と接触した部分に炎症を起こすから。一週間したら抜管して、新しいパイプと取り替えなければならない。その時にまた苦しむ。
 その苦しみを見ていられない、と私は思った。

 長女と私は、何回目かの器官挿管時に、本人をこれ以上苦しめたくない、といった。次女の琳子は、助かることならどんなことでもして上げたいといった。しかしその助かる見込みを聞くと医師は、仮に1%でも可能性があればやるのが医師の仕事です、といった。


 新しい器官挿管をすれば、少なくとも一週間は保つだろう。
 その間に炎症が治まれば、回復する可能性もある。もし炎症が治まらなければ次の交換をしなければならない。
 ことによったら気管切開もあり得る。

 気管切開したらどうなるか。人口呼吸器を取り付ける。会話は出来ない。食事も人工栄養に頼らざるを得ない。いろうである。
 それでは生きた屍ではないか。しかしその段階では、もはやそれしかない。


 そんな話が、患者家族と医師との間で続いている。結論は出ない。これ以上苦しませたくない、との思いは同じでも、じゃどう対応するかで、行き詰まってしまう。


 話し合いがつかないまま、この件は、明朝もう一回話し合いましょう、と十時過ぎに主治医も帰った。その時点では、今朝の事態を主治医自身想定しては居なかっただろう。だから器官挿管の専門医を、大学病院からよんでいた。

 人間の聴覚は、最後の最後までしっかりしている。そんなことを臨死体験に関する本で読んだことがある。普通の何倍もの敏感さで、周囲の動きを感じ取っている。だからチベット僧は、死に逝く人の耳元で語りかける。お前の人生は素晴らしかった。何も悔いることはない。家族も安泰だ。こころしずかに逝け。一晩枕元で語りかける。孤独な寂しい思いをさせないためである。

 日本では、医師も看護師も険しい顔で行き来する。患者の体にはパイプや器械が括り付けられている。それでも有体離脱して、天井から、自分を含めて寂しく見下ろしているかもしれない。惨酷な話だ。なんの為の病院か。完全な回復など望めないだろうに。

 しかも芙美湖は、昔から自分の霊能力を自慢していた。

霊気が漂っているときは、赤外線ランプをつけた時のように、全体が赤く滲んでいるという。そんなことを話したことがある。そういえば病室内が赤く見える。なぜだ?


 夫婦として五十年近く生活を一緒にしたのだから、他人に見えないことでも、芙美湖には見えただろう。ならば尚のこと、娘や私に言い残しておきたいことがいっぱいあるだろう。それを云って欲しい。しかしそんな思いも言葉にならない。なっても聞えないだろう。日本の病院は冷徹すぎる。壁はいつも白だ。看護師も医師も白衣である。

 雑音を好まない。みな不安な顔で天井をみている。その天井も真っ白だ。
 此処には患者も死者もいない。あるのは白い空間だけだ。

 夢なら醒めよと身体を震わせても、もうその体力も残っていないだろう。そんな悪夢のような状態からでも、何かを必死に伝えようとしただろう。喉の筋肉も衰弱しきっていたから、もう思いを伝えることは出来ない。ただ、受ける感覚だけは研ぎ澄まされている。


 そんな時間だった気がする。

 もし死ぬのが分かっていたら、
 何もしないで、
 家族だけで、手を握りあっていたかった。
 
 しかし、脚の根っこには固定した深静脈への栄養補給カテーテルも、取り付けてからすでに一ヶ月は経っている。
 脚はすっかり細く白くなっている。
 身体全体が聴覚化していただろう。
 でも、もう反応する力も残っていない。

 そんな自分を含めて、芙美湖の心は体を離脱して、冷静に病室を見下ろしていたような気がする。

満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。