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小説「芙美湖葬送」抜書き編
白いレシート
その死は呆気なく来た。死因は療法の変化にあった気がする。三か月で芙美湖の容貌は別人のように変わった。それまでのステロイド大量療法が免疫抑制剤に変わったからだ。ステロイドでは体がもたない。しかし免疫抑制剤では合併症が心配ではないか。
案の定肺炎になった。初回は二週間で退院できた。二回目の入院は三週間かかった。常在菌までが毒性をもった。三回目の入院で帰らぬ人となった。
付き添いをしていたから、厳しい状況にあることは分かっていた。しかし、こんなに早く、呆気なく逝ってしまうとは思ってもみなかった。
ああ、そうか。ここは病院なのだ。病院で死は日常茶飯事である。多くの患者がそのことに気付かないだけだ。死は、実にあっけらかんとやってくる。家族にとっては、思い出したくもない事態だが、病院では、これも日常なのである。
白い天井と、白いカーテンに囲まれた空間には、生も死も同じ分量だけ存在する。運の良い患者は、朝の太陽のような晴れやかさで退院できるが、死も同じような厚かましさで患者に取り憑いている。
もう退院も近いわね、なんてからかわれた患者が、どういうサイコロの振り間違いからか、突然容態を悪化させて霊安室に運ばれる。その理由を説明できる者はいない。医師も黙って頭を下げるだけだ。
死に神が、気まぐれに取り憑いたとしか云いようがない。
芙美湖の場合も、死亡宣告を終え、もはや無用になったモニター付き心電図が運び出されたあとは、機械や人が去った分だけ、冷たい空気が残った。
琳子は芙美湖を見て悲痛な叫びを上げ、長女の藍子はいつもの落ち着きを、此処でも見せていた。
そんな二人を、私は交互に眺めていた。姉妹でも性格は違う。なぜ交互に二人を見るのか。理由はない。ただ見るしかない。この現実を、現実として受け入れる気持ちになれない。映画の中の一シーンのようだ。
芙美湖の死から、あっという間に一ヶ月が過ぎた。その間に通夜や告別式があった。火葬場で灰になって戻って来た母親を見て、琳子は卒倒した。
婿が危うく背後から支えた。
なにもかもが、嵐のように通り過ぎた。なにがどう過ぎたのか、食事をしたのかしなかったのか、寝たのか寝なかったのか、何も思い出せない日々があっという間に過ぎた。気がついてみたら一ヶ月経っていた。
着替えをする時、左手に紙切れが引っ掛かった。何枚かのレシートである。これらのレシートはみな毎日病院の売店で買った付添い看護の為の弁当、牛乳、テレビカード、雑誌など私が支払った代金のレシートである。
その中に見慣れない一枚のレシートがあった。別色のレシートは一枚きりである。最初、何のレシートだか思い出せないでいた。
よくみるとそれは病院の近くにある二十四時間スーパーのものだ。
一瞬思い出したくもない不快な病室の光景が甦った。まさしくこのレシートは、芙美湖の遺体を包むために二十四時間営業のスーパーで買い求めた新しいパジャマのレシートだった。芙美湖が死んだのは早朝六時である。
ほんの前まで芙美湖は生きてた。私は呼吸困難に苦しんでいる芙美湖を呆然と見ていた。芙美湖の周りで、器械で痰を吸引したりたり、点滴を取り替えたり、看護師があわただしく動き回っていた。
いまにも息を引き取るのではないか。でも自分にはどうにもならない。無力感と同時に、もう何をやっても無駄だという絶望感があった。そのくせ、何処かで、きっと切り抜けられる、これまでもそうだったように、きわどいところで切り抜けるだろう。そんな自信みたいなものがあった。
ビニールの採尿袋は、量は少ないが、血の混ざっていない綺麗な尿が溜まっていた。腎臓からの出血が若干収まった。状態が改善されている。危機を乗り切った、そんな風に思った。
私はずっと芙美湖に付き添ってきた。痰の吸引など、看護師が行う機械的な作業を、影絵のように無感動に眺めていた。間もなく芙美湖は死ぬな、と思った。いや違う。生き延びる。いきなり立ち上がってカテーテルを開けるだろう。
現実と空想が空転していた。なぜか死ぬという実感はなかった。これまでも何回か危機を乗り切ってきた。今度も乗り切るだろう。
しかし終わりは、実に呆気なくきた。当直医が心臓マッサージを始めた。その瞬間だけ心電図の波形がフラットになった。でもすぐ平らに流れた。
「ご臨終です」と医師がいった。その宣告は予め用意されたものだったろう。問題はそれをいつ云うか。そのタイミングを計っていただけだ。
ええ?
看護師も、私が洗面所に入るタイミングを、見計っていたのではないか。
当直医師の心臓マッサージも、余りにも、あっさりしている。だれも芙美湖の死を押しとどめようとしない。
どうして?
何カ月後にやっとわかった。あれは幻覚だったのだ。
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