あいつが死んだー(新橋寄り銀座・・・②)
あいつが死んだ。60余年前に。初乗り区間10円の恋を全うすることもなく。いつもなら銀座は賑っているが、新橋寄りホームから見える風景は変った。森永の地球儀がない。ペコちゃんもみえない。第一人がまるっきりあるいていない。どうしたことだ。コロナが飛んでいるからか。
あいつが死んだ時のことが蘇る。まったく予想もしなかった。いろは通り商店街を散歩していたら妻が追いかけてきた。電報が来た。サキタが死んだみたい。松ちゃんからの電報よ。
「うそだよ。からかわれているんだよ。あいつが死ぬわけはない。あいつは正統派悪党なんだ。そこいらのチンピラとは違う。根性が座っている。殺しても死なない男だ」そういいながら、子供のころみた腹の、大きな傷跡を思い出した。
満州から引き揚げて間もなく盲腸炎になった。痛かったが金もないし、当時のことだから街医者もいない。数日でお腹がパンパンにはれた。父親が見つけて戸板にのせてバラックのもと軍医に担ぎ込んだ。
盲腸炎は腹膜炎に進んでいた。死ななかったのがフシギだ。緊急手術をした。簡単な麻酔をして切開した。局部麻酔が効いているのいないのか患者は暴れる。日本男子だろう。歯を喰いしばれ。
しかし手術痕を縫い合わせることは出来なかった。患部が腫れあがって膿んでいたからだ。後日医師は太ももから肉を切って、腐った肉を排除した部分に埋め込んだ。あとは運だ。運が強ければと軍医上がりの医者はいった。
奇跡的に助かったのは同級生の母親が米軍XP放出品の闇屋をやっていることを想いついたからだ。そのことを彼の母親に話した。母親は金の工面をつけて、高額なぺニシリンを買ってきた。
闇屋から仕入れた米軍PX放出の油性ペニシリンだ。医師に差し出したら、部外品だな、と一瞬厭な顔をしたが注射器を熱湯消毒して注射してくれた。油性だから溶けにくい。暖かい手ぬぐいで何回も注射部分をもみほぐしたら肉が柔らかくなた。後日そう母親から聴いた話だ。ありがとうね。助かったわ。
その闇ペニシリンが無かったら彼は死んでい居ただろう。その盛り上がった腹を何回も見せてくれた。ふとそのことを思い出した。ひょっとして本当に死んだかもしれない。事実死んでいた。六十余年前に。
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満85歳。台湾生まれ台湾育ち。さいごの軍国少年世代。戦後引き揚げの日本国籍者です。耐え難きを耐え、忍び難きを忍び頑張った。その日本も世界の底辺になりつつある。まだ墜ちるだろう。再再興のヒントは?老人の知恵と警告と提言を・・・どぞ。