「日本の難点」①
未だ、読了はしていませんが、本来ブログを作りたくなった目的のウェブログを残さないのはモヤモヤしますので途中ですが、読んだ所までの印象に残った事やそれまでの感想を、取り止めも無く記して行きたいと思います。
「私たちはどこから来て、どこに行くのか」の最後に「日本の難点」が紹介されていたので、次はこれだなと決めて読みはじめたのですが、「私たちはどこから来て、どこに行くのか」に比べる(比べていいのかは分かりませんが、敢て比べる)と非常に、読み進めやすいですね。
「私たちはどこから来て、どこに行くのか」のあとがきに
~思えば、前著『日本の難点』は次女が生まれる直前に上梓され、本書は長男が生まれた直後に上梓されたことになる。妻に言われて改めて思ったが、私と子供たちの関わりが、私の執筆内容にとても大きな影響を与えているのであろう。自分の子供たちやその友達と遊ぶ中、私が社会について考えたり社会に働きかけたりするのは目の前のこの子たちのためだと幾度も思った。~とありまして、宮台先生の人間臭さが滲み出てるように感じました。宮台先生の事を好きな理由はたくさんありますが、なんと言っても心底優しくて人間臭いそんなところに惹かれますね。
息子さんには少し難解でも本質を伝えたい、娘さんには優しく道理を伝えたい、そんな感じがしました。
只今90頁、全部で270頁ほどなので、1/3ってとこですね。
ココまでで印象に残ったのは、娘さんが「オババがいたよ」ってとこですね。きっと娘さんには見えていたんですよ。科学的にーとかややこしいことは分かりませんが、見えていたんですよ、それで良いんですよ。
私にも娘がおりまして、「ちび」と呼んでいるのですが、ちびがまだ小さい頃、2歳とか3歳かな?部屋が狭いので、ダブルベッドとベビーベッドを並べて置いて3人並んで寝ていたのですが、寝る前はベビーベッドには入れずにダブルベッドの上でテレビでも見ながらまったりするのが寝る前の習慣だったのですが、時々娘はなんにも無いところを見てニコニコするんです。部屋の隅であったり、天井であったり、何もない空間を見つめるともなくボヤっと見る感じで、ニコニコニコニコ暫くしてるんです。
娘を命名したのは、嫁のお爺さん。ちょっと違うか、命名自体は私ですが、嫁にお爺さんへ命名して欲しいと手紙を書かせたら、お爺さんが3つの候補を送ってきて下さり、その中から選びなさいって事でしたので私が選んで決めた流れです。
初ひ孫だったって事もありますが、ネイティブアメリカの「一族の長老に名前を付けて貰った子供は長寿で幸せな人生になる」という言い伝えに肖り、当時まだお元気だった嫁のお爺さんが親族では一番の長老でしたので、お願いしました。お爺さんもかなり喜んで下さって、一緒に住んでる嫁の叔母さんによるとかなり張り切って連日頭を悩ませていたそうです。
嫁のご両親は、島根の出身でして父方の方が出雲大社のお膝元で、神主をされている方もいたとかだったかな?母方は出雲大社から海沿いを東に行った日御碕というところの漁師さん。そう、お爺さんは漁師さんの親方さんなんです。
一度、網を巻き取るローラーに体を挟まれて死にかけたそうで、嫁曰くそれ以来じーさんはサイボーグになってたらしいです。
漁師さんは、魚を追いかけて少々危ない海にも出かけちゃうらしくて、ついうっかり(知ってて?)国境を跨いじゃうこともあって、海で犯した罪って重いらしく、前科何犯かのツワモノだったそうです。
脱線してしまいましたが、私の感覚では命名したひ孫の顔を見にじぃーさんがいらしてて、娘もそれが分かってニコニコしてるんだと思ってました。
(余談ですが、離婚してるので嫁と書いてるとこは全部元嫁ってことで笑)
話を戻すと、要するにあるんですよ、そういう世界がね。今の人間には分からないだけであるんですよ。私にはなんにも見えたり聞こえたりはしませんが、あるもんはある、けどそれを使ってお金儲けを企む人たちは好きじゃないですけどね。
こんな感じで、心に触れた個所を私の経験も交えた形で、いろいろ書いて行こうと思っています。