【幻想の√5】感想文①

この本の存在はかなり前から知っていて、いつか読もうと思っていた。10/20の界隈塾のゲストが中谷先生に決まってから、それ迄には読もうと決めいていた。
9月の初めに仲間と飲んでる時に「結局岡田さんは、チンコの書いた本しか読まないんですよ!」と言われドキッとした。確かに私は男性の書いた本しか読んでこなかった。彼女に薦めてきた本も全て男性が書いた本。本棚の本も全て男性。ざっと記憶を遡っても女性の書いた本を読んだ記憶がない。無意識に選んできたので、誰かに指摘されるまで気が付かない。

次の日朝早速注文して、数日で届いた。読みかけの本を置いといて頁をめくる。実は中谷先生とは界隈塾で2度お会いしてる。Twitterで知り合いになりひょんな事から界隈塾にお誘いしたら「暫く、宮台先生とお会いしてないので良いチャンス」と7月の界隈塾に参加してくださった。上記の「結局岡田さんはー」と指摘してくれた彼女もその時参加。縁とは不思議なもので、良い縁ってのはいろいろと良い方向へと繋がっていく。詳しく書くと長くなるので割愛するが、中谷先生はこの日私の夢をひとつ叶えてくれた。

宮台先生はじめ、伊藤雄馬先生、内山節先生など、数は多くないが作家さんにお会いするチャンスは何度かあったが、その殆どは著作を読んだ後にお会いしたパターン。中谷先生の場合はお会いした後で本を読んだので、とても不思議な感覚に陥った。文字で読んでるにも関わらず、中谷先生の声が聞こえてくる。観音様は、音を観ると書く。衆生の「音声を観て」解脱を得させるそうだが、正にその逆の文字を聞いてる感覚。文字を読むのではなく聞いてるので、スラスラと頭の中に入ってくる。日頃は本を読むのが非常に遅い私なのに、直ぐに読了した。

冒頭に「√5」とは何か?が書いてある。中谷先生は「自己愛」という意味をもつそうだが、なぜ「自己愛」なのかは未だにピンときてない。私は本のタイトルを聞いた時なんともトンチの効いたタイトルなんだろうと思った。てっきり「√5=2.2360679=富士山麓にオウム鳴く」から来ているのかと思っていたが中谷先生の意味とは違っていた。が、中谷先生は「意味を考えること自体が答えかもしれない」と書いてらっしゃるので、タイトルを聞いて考えた私は、中谷先生の思惑通り。要するに自分の頭で考えろって事なんだと思う。また、唯一「自己愛」を言い当てたのが宮台先生って話も面白い。智の巨人恐るべし。

第1章が中谷先生の「おいたち」なのも、文字を聞く感覚に陥ったのは原因なのだと思う。中谷先生は小5の引越しで人生が一変したと書かれている。私も幼稚園、小学校、中学校で各一回ずつ転園転校しているので、転校生の気持ちは分かるが、中谷先生と違い私の場合は都会から田舎への転校ではなく、同じような新興住宅地間の移住だったので一変するような出来事はなかったが、それでも転校は転校、それまでの友達とのお別れや、生活環境が変わるかなりのストレス、新しい出会いのワクワク感などいろんな事はあった。中谷先生の人生がどう一変したかは、本の中で聞いて欲しい。

第2章からはオウムの話に入って行く。縁というのは不思議なもので、結局未来の事なんて誰にも分かりっこない。自分では全く予期しない「ご縁」が大きな流れに沿って繋がっていく。ただ言えるのは「何か」をしないと縁は生まれない。仏教では「因縁生起」と言いますが「因」がないと「縁」もない「何か」をしないと縁は繋がらない。中谷先生自身は、アメリカへ「高層」と呼ばれるチベット人の先生に会いに行くところから、縁が繋がって行く。ここから、ニューヨークのリトリート>日本国内のチベット関連のサークル>オウム真理教元信者のN氏へと繋がる。そもそも中谷先生が渡米しなければ無かった話。N氏とのご縁は良縁だったのだろうか?それとも悪因縁だったのだろうか?
「人間万事塞翁が馬」という言葉があるが、N氏自身との縁はとても良縁には見えないが、N氏から繋がったオウム信者達との縁は悪因縁とは思えない。

②へつづく

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