5.雨降りお化け
ラブタームーラには、「雨降りお化け」が出るという噂があった。
その名の通り、雨の日になるとヌウッと姿を見せ、フラフラと出歩くのだという。
「まあ、いわゆる都市伝説というやつでしょうね」元之はこともなげにそう言った。
「なんだ、その都市伝説ってのは」浩が聞く。
「ばかね、あんた都市伝説も知らないの?」軽蔑したように美奈子が鼻で笑う。「口裂け女とか人面犬とかいるじゃん。ああいうのを言うの」
「口裂け女か。おれは信じちゃいないが、あれって作り話にしても面白いよな」と浩。
「雨降りお化けは、古くからラブタームーラに伝わる話ですね。ちょうど、ろくろ首やからかさお化けのように。そうして考えると、妖怪のたぐいなのかもしれません。でも、最近ですよ、目撃証言がよく聞かれるようになったのは。その意味では、やはり都市伝説と呼ぶべきなんでしょうね」
中央公園の噴水広場の前で3人はベンチに腰掛け、ソフトクリームをなめていた。
5月も中旬。よく晴れて、まるで夏のように暑い。
「その雨降りお化けってよ、何か悪さをするのか?」と浩。
「とくに何もしないようです」ソフトクリームをペロッとなめ、元之は答えた。「わたしもネットで調べてみたことがあるんですよ。ただ、雨の中を出歩くだけの存在のようですね。見たという者がイラストを載せていましたが、あごまで隠れるほどの深い白いチューリップ・ハットをかぶり、緑色のローブを着ているんだそうです」
「それって、雨合羽を着た誰かじゃないの?」美奈子は疑った。
「あるいはそうかもしれませんね」
「でもよ、そんな奴がヌッと現れてすれ違ったら、気味悪くないか?」浩はソフトクリームをガブッとかじり取った。
「言えてる」美奈子も同意する。
「出現場所はほぼ決まっているらしく、星降りトンネルなのだそうですよ。時間はまちまちで、昼間に見た人もいれば、夕方出くわした人もいるとのことです」
「星降りトンネルって、1丁目の星降り湖に通じているあそこね。昼間だって、あまり人が通らない場所だわ」
「うん、手掘りのトンネルで、なんだか気味悪い場所だよな。おれだって、用もないのに行こうとは思わないな」浩は口をすぼめてみせる。
ふいに元之がこんなことを言い出した。
「噂が流れ始めたのは、ちょうど先月の中旬辺りからでしたね。美奈ちゃんが魔法昆虫を逃がしたのも、まさにその頃でした」
「何が言いたいの?」美奈子が眉を寄せる。
「いえね、もしかしたら魔法昆虫と何か関係があるのかと思いまして」
「つまり、雨降りお化けの正体がそれってことか?」浩は鼻を鳴らしながら食いついた。
「その可能性は十分にあります」元之は落ち着き払ったものである。
「だったら、行ってみるしかないわね」美奈子は胸の内が高まってくるのを覚えた。
「よし、いまから行こうぜ。3人なら怖くねえ。それにまだ、こんなに明るいんだからなっ」浩が立ち上がろうとするのを、元之が静かに制する。
「まあ、お待ちなさい。ご覧なさい、この晴れ渡った空を。雨降りお化けが出るのは雨の日だと、さっきも言ったじゃありませんか」
「あ……」浩は座り直した。
「そうね、行くのは雨の日じゃないと。 もしも魔法昆虫なんだとしたら、きっと雨に関係する魔法を使うに違いないわ」美奈子はそう言いつつ、緑のことを思う。今度こそ元の世界へ帰ってしまうかもしれない、そんな気持ちが心を揺らしていた。
「雨の日を待ちゃあいいんだな。よっしゃ、われらタンポポ団、最初の冒険だ。気合いを入れていくぞ」浩は、クリームのなくなったコーンを口に放り込んだ。
しかし、連日の晴天で「冒険」の機会はなかなか巡ってこなかった。天気予報でも、ここしばらくは晴れマークばかりが並ぶ。
学校に来ていても、雨降りお化けのことや魔法昆虫のことで、3人はやきもきしていた。
休み時間は元之の席へ浩と美奈子が集まって、あれこれと話し合う。
「ぜんぜん降らねえな雨。これじゃあ、星降り湖トンネルになんか行けやしねえぞ」浩が文句を言った。
「そんなこと言ったってしょうがないじゃん。天気ばかりは誰にもどうすることが出来ないんだから」と美奈子。そんな美奈子も、もどかしさを抑えきれなかった。
「館長から、魔法昆虫のことで何か連絡はありませんでしたか?」元之が美奈子に聞く。情報があれば、美奈子の元へと電話が来ることになっていたのだ。
「それがぜんぜん。どんな虫か、せめてそれだけでもわかっていたらなぁ」
そこへ柏崎和久が近づいてくる。
「ねえねえ、なんの話? いま、昆虫がどうとかって言ってたみたいだけど」
ひょろっとした背格好で、それに見合う臆病な性格だった。
「お前には関係ねえよ」浩はやや冷たく言い放つ。人の顔色ばかりうかがって、いつもおどおどしている和久が嫌いなのだ。
「あんたが聞いたら、きっと震え上がるような話」美奈子は簡単にそう説明する。
「まあまあ、お2人とも。そう意地悪などせずに、聞かせてあげてはどうです」元之だけは大人のゆとりを見せた。
浩はふんっと鼻を鳴らしたあと、仕方なさそうに答える。
「あのなあ、魔法昆虫ってのが逃げ出しちまって、この町をうろついてんだ。危険なやつらでな、何をしでかすかわかったもんじゃねえ」
「あたし達、訳があって、それを捕まえなきゃならないの。あんた、そんなの怖いでしょ?」
意外なことに、和久は大いに興味を持った。
「ぼく、魔法昆虫のこと、聞いたことあるよ。パパの友達が博物館の館長と知り合いでさ、教えてもらったことがあるんだ。大昔、ラブタームーラの町を襲ったっていう、あの虫のことだよね?」
「そうですよ、和久君」元之はうなずく。「それがなんと、5匹も逃げ出してしまいましてね。あ、1匹は捕まえたんですよ。重さが300キロもあるゾウムシのような奴でした。館長が言うのには、このゾウムシモドキはまだ大したことがないと言うんです。でも、残りの昆虫に関しては調べている最中でして、どんなものかもわからないんです」
「そっか! 君達、それを追っているんだね。すごいなあ!」
「噂聞いたことあるでしょ、雨降りお化けの。もしかしたら、それが魔法昆虫なんじゃないかって、みんなで話し合っていたところなの」美奈子が後を継ぐ。
「なんせ、情報が少なくってな。おれ達も途方に暮れてんだ」浩が話を締めた。
和久は、もじもじと指を絡ませながら口を開く。
「ねえ、あのさ……」
「なんですか、和久君」
「ぼ、ぼくもその仲間に加えてくれないかなぁ」
「お前がっ?!」教室中がびっくりして振り返るほどの声で、浩は叫んだ。
「うん、ぼく魔法昆虫の話を聞いてからずっと、実物を見てみたいって思ってたんだ。きっと、かっこいいんだろうなってさ」
「かっこいいとかじゃないと思うけど」美奈子にとっては、それどころじゃではなかった。
「まだ、雨降りお化けと魔法昆虫の関係についてはわかっていないんですよ」元之が言う。
「お前みたいな怖がり、そこらの虫を見ただけで逃げ出すんじゃねえのか」浩は相変わらず辛辣だった。
「お願い! ぼくも連れてってよ。絶対、足手まといにならないようにするからさあ」
美奈子と浩は互いに顔を見合わせた。どうしたものだろう。
「いいでしょう」こう言ったのは元之だった。「いまは人数が多いほど助かるんです。あなたにもぜひ、協力してもらうとしましょう」
「おい、本気か元」浩は心配そうに聞く。
「あたしは別にかまわないけど。元君がいいって言うんなら、反対はしないよ」
差し当たっては、タンポポ団補欠ということで一員に加わることになった。
「それはともかく、雨が降らねえことにはなあ」浩は教室の窓から、カーッと照りつける空を恨めしげに仰ぐ。
「待つより仕方ないでしょうね」元之はのんびりと答えた。
「そうね、いつまでも晴れたままってことはないんだし」美奈子もうなずく。元之の言う通り、ほかにしようがないのだ。
それからちょうど1週間後。その日は朝からどんよりとした雲が空を覆っていた。タンポポ団の面々は、もしやこれは雨降りの兆しではと期待する。
3時間目の国語の授業に入ってほどなく、ポツポツと雨が落ち始め、ついにはざんざん降りとなった。
「今日の放課後、決行だぞ」休み時間、浩が全員に促す。一同は、力を込めてうなずいた。
学校が終わると、めいめい傘や雨合羽を出して、転がるように教室を飛び出す。
「たぶん、今日辺り雨が降ると思ってたんだ」美奈子は、魔法の網とカゴを学校に持ってきていた。
「さすがは美奈ちゃん。用意がいいですね」元之に褒められ、まんざらでもない気持の美奈子。
「よし、行くか」と浩は先頭に立った。
3人のちょっと後ろを、和久がもたもたと付いてくる。
小学校のすぐ前に伸びる「思い出の小路」を、博物館方面へと歩き始めた。灰色のレンガを敷き詰めた遊歩道で、ラブタームーラをうねうねと横切るように続いている。
「星降り湖」と書かれた標が見えたら小路へと外れ、ひたすら行くとそこが星降り湖トンネルだった。
「みんな、準備はいいか? 問題のトンネルに入るぞっ」合羽姿の浩が後ろを振り返る。全員が無言でうなずいた。
トンネル内は薄暗く、あちらこちらから水が染み出ている。
「相変わらず、気味悪いところね」美奈子はそう言って傘を畳んだ。
「空気もひんやりとしていますね。浩の言う通り、1人で訪れるのは遠慮したいものです」元之も同意した。
星降り湖トンネルはそれほど長いトンネルではなく、向こう側に出口の光が見えている。それでも、古いことと、荒々しい手掘りの跡が言いようのない雰囲気をかもし出しているのだった。
入り口から10メートルばかり進んだところで、ふいに浩が立ち止まった。
「なあ、いま何か聞こえなかったか?」
「聞こえなかったわ」と美奈子。
「いいや、確かに聞こえた。しっ、みんな静かにしろ」
4人はその場に佇んで、じっと耳を澄ます。すると、向こうの方から、かすかに鈴の音がしてきた。だんだんと大きくなっていく。
「鈴……ですね」元之がそっとつぶやいた。
それまで気がつかなかったが、出口付近に人の影のようなものが、ぼんやりと浮かんで見える。
「で、出た!」浩はごくりと唾を飲んだ。
人影はゆっくり、ゆっくりこちらに向かって歩いてくる。やたらと背が高く、竹ひごのように細い体をした影だった。
「あ、あれが雨降りお化け?」美奈子は思わず、浩の後に退く。和久など、その場だけ地震に見舞われているかのような震えようだ。
影はさらに近づいてきて、お互い数メートルほどの距離にまで達していた。薄明かりの中、それはぼんやりと姿を見せる。
あごまですっぽり包み込まれた白いチューリップ・ハット、緑色をしたローブには、白い水玉模様。元之がネットで見たという姿そのままだった。
よく見ると、チューリップ・ハットの房にはそれぞれ鈴が付いていて、歩くたびに、チリン、チリンと鳴っている。
とうとう互いに目の前に来ていた。浩は、思いきって声をかけてみる。
「あんたが雨降りお化けなのか?」
すると、相手は足を止め、澄んだ美しい声でこう答えた。
「わたしはフラリ。ただのフラリ」
「あなたは魔法昆虫なんですか」今度は元之が聞く。
「いいえ、わたしは雨降りの日が好きな、ただのフラリ」
不思議なことに、美奈子は怖いという気持ちがすっかり失せていた。それどころか、妙に惹かれるのである。
「ねえ、フラリ。あなた、あたし達と友達にならない?」なぜ、そんなことを言ったのか、自分でもわからなかった。
フラリは一瞬、黙り込んだ。何やら考えているようにも見えたが、顔が見えないので表情を読み取ることができない。
けれど、
「いいわ、お友達になりましょう。雨の日には、またきっと会えるから」それだけ言うと、スウッと薄くなって、とうとう消えてしまった。
「あたし達、雨降りお化けと友達になっちゃった」呆然としながら、美奈子がつぶやく。
「お、おう、そうみてえだな」浩も、たったいま、自分が見たものを信じられないというようにうなずいた。
「ぼく、フラリのこと、全然怖いなんて思わなかったよ」和久の足の震えはいつの間にか止まっている。
「まさか、お化けと友達になるとは、いやはや!」さすがの元之も、驚きを隠せない口ぶりだった。「ともあれ、タンポポ団最初の功績といったところでしょうか」