1.魔法の授業

 鈴木美奈子は期待で胸を膨らませていた。
 この春、小学2年に進級し、待ちに待った魔法の授業が始まるからだ。
「魔法が使えるようになったら、まず飼っている金魚の色を赤から青に変えるんだ」運良く隣の席となった親友の大沢薫に、目をキラキラと輝かせながら言う。
「あのね、美奈。あんま、期待しないほうがいいと思うの。上級生を見てごらんなさないよ。みんな、言ってるわ。あーあ、今日も魔法の授業かぁって」
「なんでかなあ。魔法が使えたら楽しいのにさ。新しい教科書をパラパラとめくってみたけど、なかなか興味深かったよ。もっとも、難しい言葉ばかりで、ほとんどわからなかったけど」
「まあ、始まってみればわかるでしょうよ。次がその魔法の授業なんだもん」
 ほどなくして始業のチャイムが鳴った。生徒達は全員席に着き、先生が来るのを大人しく待つ。
 がらっと戸が開いて、担任の小倉静子が入ってきた。

「さあ、皆さん。今日から新しい科目が始まります。『まほうのきそ・Ⅰ』は持ってきていますか? 忘れてしまった人は、隣の人に見せてもらってくださいね」
 美奈子はプーンと香る新しい教科書の表面をなでながら、真っ直ぐ先生を見つめた。第1日目は、どんなことを教わるんだろう。すぐにでも、魔法が使えるようになるのだろうか。
「では、始めます。最初のページを開いてください。まほうのげんりというところです。」と小倉先生。美奈子は、ページをそっと開く。複雑な一覧表が描かれていて、まるで呪文のよう。「この世には、様々な素粒子が存在しています。そうしたお話は難しいので、いまは詳しくは話しませんが、1つだけ覚えてもらいたいものがあります。それは『魔法粒子』というものです。魔法は、この『魔法粒子』に寄って引き起こされるのです」

 美奈子は教科書を開いて、いま先生が言ったところを読み返してみた。「魔法粒子」は、地上はもちろん、宇宙にさえ充満している微少な粒である、と書かれている。
 先生は説明を続けた。
「わたし達は、5つの要素を用い、この『魔法粒子』に働きかけ、その結果として魔法が発動するのです。この5つの要素とはなんでしょうか。1つ目は想像力です。魔法という曖昧な力に、色形を与えるものです。次は感性。これは、『魔法粒子』を感じ取る力ですね。それから抑止力。これが備わっていないと、『魔法粒子』を限りなく呼び込んでしまい、大変危険です。4つ目は理性。魔法の方向を決めてあげる要素です。魔法は、ただ発動するだけではどこへ飛んで行ってしまうのかわかりません。そこで、理性で行き先を指し示してやる必要があるのです。最後に忘却。これが一番大事です。集まった『魔法粒子』は、いつまでもそこにとどまったままになります。魔法が発動したら、それを終わりにしなくてはなりませんね。忘れることによって、『魔法粒子』を拡散させ、その魔法を解放してやるのです」

 聞いていて、美奈子は頭が混乱してきた。薫に、そっと耳打ちをする。
「あんた、先生の話わかった?」
「ううん、ぜんぜん。とりあえず、5つの要素が魔法には大事だってことだけ」
 あんなに期待していた魔法の授業が、早くも退屈に思えてきた。
 最後に、先生はこう断言する。
「いいですか、皆さん。この授業は、魔法を使えるようになることが目的ではありません。反対に魔法を使わないようにするための勉強なのです。魔法は不用意に使うと、とっても危険なものです。もしも――まあ、まずあり得ないでしょうけど――偶然にも魔法が発動しったとき、それに対処できなければなりません。魔法によっては大ごとになりかねないのですから。自動車の運転でもそうですね。知らないで運転するのと、わかっていて運転するのとではまるで違います。わかりましたか?」

 授業が終わって、美奈子はふうっと溜め息をついた。
「なぁんだ、魔法を教えてくれるのかと思ったのに」
「ほらね、言った通りでしょ?」薫が肩をすくめる。「あんた、誰かが魔法を使っているところなんて見たことある? わたしはないわ。使える人なんて、多分誰もいないのよ。あんな退屈な授業を受けていたら、魔法なんてやろうとは思わないもん」
「そうだよねえ。理屈ばっかりで、具体的なことなんて何もないし、これだったら算数のほうがよっぽど面白いくらいよ」
「あら、あんた算数って嫌い? わたしは好きだわ。だって、必ず答えが1つきりなんですもん。むしろ、国語の方が苦手。答えなんか、あってないようなものだしさ」

 その算数と国語の授業が終わり、給食をはさんで、また魔法の授業が始まった。
「やれやれ、またつまらない話を聞かされるんだ」美奈子は暗い声を出す。
 ところが、
「さて、午後は課外授業にします。今日はね、みんなに探してきてもらいたいものがあるの」
「聞いた? 課外授業だって」と美奈子。「それってつまり、外で自由に行動するってことでしょ」
「うん、そうだよね。でも、何を探すのかしら?」
 小倉先生は続けた。
「学校の裏の野原へ行って、マーマレード・ミント・フラワーという、小さな花を探してください。爪の先ほどの花だから、簡単には見つからないですよ。虹色の花びらを持っていて、ひっそりと咲いています。この花には、人を幸福にするという魔法が染み込んでいると言われています。さあ、誰が最初に見つけることができるでしょうね」

 生徒達は一斉に教室の外へと躍り出た。美奈子も、薫と一緒に野原へ駆け出す。
「なんとしても、わたし達で見つけようよ。幸せになれるなんて、素敵じゃないの」美奈子が言うと、
「だけど、先生も言っていたように、すっごく小さな花なんでしょ? 苦労すると思うな」薫は自信なさげに答える。
「魔法の花なのよ。気持ちを集中させれば、きっと見つけられるわよ。わたし、魔法の授業には期待を裏切られたけれど、まだすっかり希望を捨てたわけじゃないの。第一、このラブタームーラの町は、魔法で溢れ返っているんだし」
「やれやれ、美奈にはかなわないな。とにかく、探してみようか。もしかしたら、見つけられるかもしれない。そして、本当に魔法が効いて、わたし達、幸せになれるかもしれない」

 あちこちでグループができていて、ここにもないそっちにもない、と賑やかな声を響かせていた。
 美奈子達は、ほかのみんなから離れた、シロツメクサの群生を当たることに決める。
「案外、こういう地味な場所にあるものよ」と美奈子。「ついでに、四つ葉のクローバーも探しながら作業してるの。あれだって、人を幸福に指せる魔法を、いくらかは持っているでしょ?」
「まあ、あきれた! まるで、マーマレード・ミント・フラワーなんて後回しみたいじゃないっ」薫は口ではそう言ったものの、四つ葉のクローバーならすぐに見つかるのではないかと期待するのだった。

「あった!」美奈子が叫んだ。
「えっ、どれ?」薫が振り返ると、美奈子が四つ葉のクローバーを摘んだところだった。「なぁんだ、マーマレード・ミント・フラワーじゃなかったのね。でも、四つ葉なんて、よく見つけられたわね。わたしも探しているんだけど、ぜんぜんよ」
 美奈子はポケットから小さなメモ帳を取り出すと、ページの間にそっと挟み込んだ。
「あった!」また美奈子が大きな声を出す。
「あんた、よく四つ葉のクローバーを見つけるわね。天才なんじゃないかって思うわ」
「違うわ。ほら、これ。虹色をした小さな花。マーマレード・ミント・フラワーじゃないかしら」

 美奈子の指差す草むらに、小さな小さな美しい花が恥じらうように揺れている。
「まあ、そうよ。先生が言っていた通りの花だわ。わたし達、本当に魔法の花を見つけてしまったのね!」薫は感動のあまり、いまにも泣き出しそうだった。
「さあ、摘むよ」美奈子は手を伸ばす。
「ねえ、ほんとうに抜いちゃうの?」と薫。
「だって、小倉先生はマーマレード・ミント・フラワーを探すよう言ってたじゃない。持っていくよりほかはないわ」
「でも、なんだかかわいそう。ちっぽけなくせに、一生懸命咲いているんだもん」
「うーん、そう言われると摘みにくくなっちゃうな」
 美奈子と薫は、マーマレード・ミント・フラワーを挟むようにしゃがんだまま、すっかり考え込んでしまった。

 2人の間にすっと影が差す。
「おっ、それマーマレード・ミント・フラワーじゃん。なんで採らないんだよ。いらねえなら、おれがもらってやるぞ」島根浩だった。ちょっと意地悪く乱暴なので、美奈子達は彼を嫌っていた。
「ちょっと、浩。勝手な真似はしないでよ!」美奈子はマーマレード・ミント・フラワーをかばうように手をかざした。
「うるせえよ。お前らがグズグズしてるのが悪いんだろ」美奈子を押し退けると、躊躇もなくマーマレード・ミント・フラワーを引き抜いてしまう。
「それ、わたし達が先に見つけたんだからね!」薫の抗議も虚しく、浩は花を無造作にポケットに押し込み、からからと笑いながら去って行った。
「浩のやつ~っ」美奈子はこぶしを白くなるほど握りしめ、文字通り地団駄を踏む。
「あいつ、いっつも頭にくる。いつかバチが当たればいいんだ」薫も唇を思いっきりとがらせた。

 遠くから先生が呼ぶ声が聞こえてくる。
「さあ、みんなー。そろそろ教室に戻ってちょうだい」
 生徒達はぞろぞろと学校に向かった。
「見つけられた?」
「ううん、だめだった」
「そんな花、ほんとうにあるのかしら」
 どうやら、誰もマーマレード・ミント・フラワーを見つけられなかったようだ。少なくとも、美奈子と薫以外は。
 教室に入り席に着くと、
「さあ、みなさん。マーマレード・ミント・フラワーは見つけられましたか?」と先生が尋ねた。
 すると、浩がぱっと立ち上がり、自信満々の顔でポケットから花を取り出す。
「おれ、見つけました。これですよね」
 美奈子と薫は浩をキッと睨みつけるが、当の本人はまるで気づく様子もなかった。

「ええ、確かにそれが魔法の花、マーマレード・ミント・フラワーです」先生はうなずいた。けれど、顔を曇らせる。「でも、摘んできてしまったのは間違いでしたね。ごらんなさい。すっかりしおれ、虹色の輝きも失せてしまっているでしょう? わたしは、『見つけてくるように』と言いました。採ってはいけなかったんです。もう、魔法の力を失くし、どこにでもある普通の花になってしまいました。眺めるだけで、十分、人を幸福に出来たんですよ、浩君」
 美奈子と薫は顔を見合わせ、小倉先生の思いがけない評価に言葉を発することすら忘れて驚いた。心の内が映像となって滲み出るのだとしたら、手を取ってうれしそうに踊る2人の少女の姿を誰もが目にしたに違いない。

いいなと思ったら応援しよう!