芝刈り機、怒る!
「桑田、そろそろ床屋でも行ったら?」もともと鋼毛なところへ持ってきて、天然パーマである。だいぶ伸びてきていて、さらに寝ぐせが大爆発だった。
「そうだなあ」桑田孝夫は自分の頭をわしゃわしゃと揉む。
「まるで、鳥の巣じゃん。そのうち、カッコーが卵を産みにやって来るよ」
「ストレート・パーマっつうの? どうせなら、それにしてみっかな。なあ、むぅにぃ。お前の行ってる美容院、紹介してくれよ」思いもかけないことを言い出す。
「えー、絶対似合わないと思うなぁ」反面、そんな桑田の姿も見てみたいと思った。「まあ、行くだけ行ってみればいいんじゃない? けっこう、細かい注文とかも受け付けてくれるから」
そんなわけで、駅の近くにあるサロン目指して歩き始めた。
町立のグラウンド脇を通ると、青汁のようなツーンとした匂いが鼻腔を刺激する。芝の手入れをしているのだ。向こう端でバタバタ音を立てながら、芝刈り機がのんびりと進んでいく。
「この芝の青臭さ、懐かしいな。嗅いでると、学生時代にやってたサッカーを思い出す」桑田はフェンスにしがみついて、くんくんと鼻を鳴らす。
いっぽう、わたしは不得意だった体育の光景が蘇ってきて、ほろ苦い気持ちになった。
「それにしても、のろまだな、芝刈り機って奴は」桑田が口に出す。
「よしなって、桑田。聞こえるよ」わたしは注意した。
「聞こえるもんか。それに、聞こえたからってなんだ。おれだったら、こんな芝、ブイーン、キュルキュルキュルッ、てなもんで片づけちまうんだがなあ」
芝刈り機はレーシングカーじゃないってば。
聞こえていたエンジン音がピタリと止んだ。遠くで、操縦しているおじさんの言い合う声が届く。
「おい、やめろって。こらっ、よさんか。頼むよ、気を鎮めてくれんか」
相手はどうやら、芝刈り機のようだ。
「なんだ、どうしたんだ?」桑田が覗くようにして様子をうかがう。
「さあ。運転している人と芝刈り機がもめてるみたいだけど……」
突然、エンジンが再始動し、乗っていたおじさんを振り落として急発進を始めた。
「わっ、こっち来た!」わたし達は、左右に分かれて逃げる。
芝刈り機は猛スピードで突進して、フェンスをぶち破った。片輪を浮かせながら直角に折れ、そのまま桑田を追いかけていく。
「おいおいおいっ! なんだよ、てめーっ。オレが何をしたってんだっ?」必死に逃げていく桑田。しかし、芝刈り機はそれよりも、もっと早かった。みるみる距離を縮めていく。
「のろまって言ったこと、きっと怒ってるんだよ。早く謝っちゃいなって!」喉を枯らして呼びかけたが、そんなわたしの声などもう、届かないほど遠くまで行ってしまっている。
芝刈り機の通った後は、何もかもさっぱりと刈り取られていた。花壇も、植木も、敷石までも。
「うわーっ、助けてくれーっ!」グラウンドのはるか彼方で、逃げる人影とそれを追う、芝刈り機の吐き出す黒煙が見える。
次の瞬間、プチッと桑田が消えてなくなった。同時に、やかましい喚き声も途切れてしまう。
芝刈り機は鼻歌のようにエンジン音を立てながら、いずこともなく去って行った。
ああ、桑田の奴、ぺしゃんこになったか、それとも雑草のように刻まれてしまったな、そう覚悟をするわたし。
せめて、切れっ端でも残っていれば持って帰ってやろう、そう思いながら現場に駆けつける。
芝刈り機の轍に埋もれるようにして、桑田が倒れていた。とりあえず、体のパーツはすべて揃っているようだ。
「桑田……。生きてる?」屈み込んで、声をかけてみる。
「うーん、なんとかな」むっくりと起きあがる桑田。その顔を見たとたん、笑いが止まらなくなってしまった。
「何がおかしい?」ムッとする桑田。
「だって――。だって、その頭。今日はもう、美容院に行く必要なくなったね」
五分にされた上、きれいなトラ模様を刈り込んであった。あの芝刈り機、確かに仕事は丁寧だ。