見出し画像

すきってなにそれおいしいの?

みなさんこんばんは、moneです。
久々のセクマイネタですね。ガッツリいきましょう。

今回のお題はタイトル通り「すきってなにそれおいしいの」です。
私はノンセクを自認していて既婚者です。
ノンセクというか最近はノンバイナリージェンダーなのかな?とも思う訳ですがそれは今日は置いておきましょう。

私は今、少女漫画を描いています。
自分の作品を第三者に見てもらう訳ですが、色々な手段があって、今は作品を作ったらそれをメールやサイトに投稿するわけですね。

今や漫画はスマホで見る時代。Twitterのプロモーションでもよく出てきますよね。
それで、ある少女漫画を見る機会があったんです。(タイトル忘れました)
その漫画を見て、久しぶりに、本当に久しぶりに胸がキュンとしたのです。こんなのプロポーズ以来です。
そして気づきました

「私の漫画には、すきが足りない!」

ノンセクなので、「すき」という気持ちは知っているはず
なのに私の漫画には、キュンが、萌が、愛が足りなかったのです。少女漫画家志望としては由々しき事態です。

そしてふと考えました、そもそもすきってなに?どういう状態が「すき」なの?


うーんうーんと考えたのですが、「すき」ってまず根拠が無いのではないかと思いました。
心動かされ、衝動にかられ、感情に訴えかけられた状態。これが「すき」って事なのかなと。

でもそれは「殺す」にも言える事ですよね?傷害事件の多くはついカッとなってやったが一位だとどこかで読みました。

衝動にかられた時、または心を動かされた時、どういう対応をするかで「すき」と「殺す」に分かれるわけです。
そしてこれらはもっと細分化できると思います。


感情は喜怒哀楽に分かれます。感情的に人をすきになる事はあると思います。でもそれは一時的なものでもあるのでは?と私は思います。
ここで役6年一緒にいる私と旦那の話をしましょう。


ハッキリ言うと、私と旦那の「すき」は全く別の根拠からくるものです。


旦那の言う「すき」は、多分性愛も含まれています。我慢してる事もきっとあるでしょう。後は何でしょう…やはりバブみに惚れられているんでしょうか。
彼は髪の長い女性がタイプみたいです。なので私は髪の毛を伸ばしているのですが、これはきっと旦那に女性らしさを認められたいからだと思います。
旦那が私をすきなのは、それが生きていく為に―「普通」になる為に選ばれたにすぎません。
ですが「普通」とは程遠い夫婦になってしまいました。「ママ」って呼んできます。可愛いですね。(勿論外ではちゃんと妻って言われてます!)


私の言う「すき」は、ハッキリ言って動物園のふれあい広場でウサギを触って「かわいい~」となる感情。あれです。
そしてその「かわいい~」は、妹にも言いますし散歩中のワンコにも言いますし、なんならすみっコぐらしのほこりちゃんへの「かわいい~」とも同じです。

旦那の「すき」は今は私にだけフォーカスが当てられていますが、私の「すき」は一律同じようにフォーカスが当たっています。

つまり、私の中では旦那とほこりちゃんは同じ土俵に立っているわけです。

私はこの人生の全てを旦那と妹に捧げようと思っています。旦那がもし先に死んだとしても再婚はしないでしょう。髪の毛は切らせていただきますが。
それだけ特別なのに、彼は私の中ではほこりちゃんと同じなのです。自分でもよくわかりません。

今これを書いている横で旦那も自分の作業をやっているんですけど、まさか私が「旦那はほこりちゃんと同じぐらいすき」などと書いているとは思わないでしょう。なんだか罪悪感がわいてきました。


とまぁ、こんなレアなケースもあります。
彼を変えたのは私だと思うのですが、私がこの考えになった瞬間とか、そういうのは覚えてないです。生まれつきそうだったのかもしれません。
こういう「すき」もあっていいんじゃないかなと私は思います。自分の考えはなるべく否定したくないです。
結婚してるんだから好きに決まってるじゃないかと言う人もいると思うんですけど、実家なんかはほんと冷戦状態です。愛のかけらもありません。
母親は再婚2回目なんだから、いい加減大人しくしていて欲しいものですが、どうやら外に男がいる模様。もう本当にわかんない。


話を戻しましょう。
つまり「すき」っていうのは「感情から派生したもの」であって、持ってる人も持ってない人もいて当たり前なんだという事ですね。(ザックリ言いました)

人をすきになれなくても、愛犬を愛すことができるならその人は「すき」も持っています。
誰に対しても無関心な人は自分を愛するしかありません。自分さえ愛さない人もいるでしょう。
でも、それは別に間違いなんかじゃなくて「その人はそういう人」と受け止めていければ良いのです。
ぶっちゃけ「すき」なんてなくても、人生楽しんでる人もいると思います。

勿論、この私の持論もひとつのケースでしかありません。
「自分は何にも当てはまらないから人間として終わってる」とかは思って欲しくないです。自由に人生を謳歌できたもの勝ちです、というか人生を勝ち負けで判断するのってすごくナンセンスですね。生きてりゃラッキーって感じです。

パートナーがいない人は、理想が高い人も多いです。
なのでまず、ほこりちゃんをすきになることから始めましょう。一旦ハードル下げましょう。
そこから色々な方向に「すき」を広げていって、たどり着いた先にいる人を愛せばいいんだと思います。

結婚することはゴールじゃないし離婚したから始められるものもある。
「どういう人にそばにいて欲しいか、どんな人をフォローしようと思うか」を考えながら生きるのもいいかもれません。
まぁ私も結婚5年目のペーペー32歳なんで人生とは何ぞや、みたいなのを語るのはまだ早いと思います。


という感じです今のところ。みんな、ほこりちゃんを愛でよう!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?