【自己紹介と目次】「機動戦士ガンダム」のその後の世界を夢想し旅する‥‥そんな作品を書いています
自己紹介と作品への思い
私はいわゆる「ファースト世代」のガンダムファンです。続編となる「Zガンダム」以降の作品はリアルタイムでは視聴していませんが、のちに鑑賞してから今まで、ずっと払拭できずにきた違和感がありました。それは、初代、あるいはファーストと呼ばれる「機動戦士ガンダム」と、その7年後を描いた「機動戦士Zガンダム」とが、とても一つのつながりのある時代を描いた作品とは、思えなかったからです。
そんなことがあり、もう15年ほど前になりますが、個人で運営しているガンダムファンサイトで、「Zガンダム」から「逆襲のシャア」までの空白を埋めながら、シャアとアムロの最後の対決を描く、みたいな二次創作の小説を連載していたことがありました。その小説は、話の風呂敷を広げすぎたこともあり、戦いも始まらないまま、収拾がつかなくなって放置状態となり、そのままハードディスクに眠らせていました。
しかしコロナ禍の中で思いがけず在宅時間が増え、ふと、昔書いていたものを読み直してみて、これを仕上げてみたくなりました。当時はできなかったことや、見えなかったことが自分の中にできてきて、シンプルに、書きたい要素に的を絞れば、自分の本当に見たかったモノが書けるんじゃないか、と思ったからです。
書くプロセスの中で、強く意識させられたのは、最初のガンダムブームから現在までの間に、私たちが現実に遭遇し、くぐり抜けてきた災禍のことでした。「機動戦士Zガンダム」という続編が制作された1985年当時、私たちはまだ、阪神淡路大震災も、地下鉄サリン事件も、アメリカ同時多発テロも、東日本大震災、福島第一原発事故も経験していませんでした。本物の大災害、本物のテロ事件がどれほど大きな人的・心理的被害を及ぼすか、まったく実感がなかったんです。
だから、ガンダムシリーズの続編が作られるたびに、コロニー住民が毒ガスで殺害されたり、地球にコロニーや隕石が落とされる話を、エンターテイメントとして平気で楽しむことができたんだと思います。
けれども、津波で流される故郷を見る人々の嗚咽と絶叫を聞いたあとでは、それを「エンタメ」と切り離して見ることはとても難しくなりました。すっかり忘れているけれど、最初の作品「機動戦士ガンダム」冒頭でコロニーが落ちたとき、そんな嗚咽と絶叫が、あの世界にもあったはずです。続編として制作された「Zガンダム」では、トラウマに苦しむニュータイプ少女(フォウ、ロザミア)とアムロ・レイの姿にその片鱗を見せてくれたものの、本編の展開は私にとっては想像の斜め上を行くもので、少しも心に響くところがありませんでした。
きっとそれは当時の誰にも考えの及ばなかったことかもしれないけれど、「機動戦士ガンダム」の戦争群像劇のあとには、主人公がいがみあう組織間の抗争に巻き込まれ、戦いの果てに精神崩壊するという話ではなく、「癒しと回復、そして新しい光」というお話が見たかったな、というのが今の率直な思いで、こうあってほしかった、という形を自分なりの作品としてみました。
「ごめんよ、僕にはまだ、帰れるところがあるんだ‥‥」
最終回の、あの感動的なセリフの中の、帰れるところは、本当にあるのか、それはどんな場所なのか。
アニメに描かれた続編とは別の世界線を、宇宙世紀という枠組みの中で編み出してみました。それってどんなのだろうと、気軽に楽しんでいただければと思います。
目次(作品へのリンク)
宇宙世紀0079
宇宙世紀0080
宇宙世紀0085
宇宙世紀0084〜0090
宇宙世紀0090
なお、本作はpixivに連載中のものを、整理して転載しております。元の作品は、下記アドレスに掲載しております。
また、「機動戦士ガンダム」ほか、作品レビューや考察などは、別noteにて連載中です。