機動戦士ガンダム0080 #3 恩寵 Amazing Grace
ミストラルと呼ばれる南フランス特有の強い風が春の嵐を巻き起こし、もうすぐ新芽を萌え出しそうにしていた木々を揺らして、去っていった。
ここ1ヶ月ほど、セイラは家と図書館との往復で、読書の日々を送っている。最初は気軽に読めるエッセイや短編集を手に取っていたが、気がつけば、旧世紀時代の戦争をめぐるノンフィクションを、取り憑かれたように読み耽っていた。とくに1960年代、「最良にして最も聡明なはずの人々」が、アメリカ合衆国をベトナム戦争の泥沼へと引きずりこんでゆく様を描いたデイヴィット・バルバースタムのドキュメンタリー「ベスト・アンド・ブライテスト」や、第二次世界大戦の敗北で焦土と化した日本で、敗戦の惨状の中を力強く歩み始めた民衆の姿を冷静に、しかしどこか温かみのある筆致で描いたジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」は、一度では飽き足らず、図書館に本を返したあと、何度も読み返そうと取り寄せてしまった。
あのとき、何が起こったのか。なぜ人々は、歴史の奔流の中で、自らを誤らせたり、あるいは奮い立たせたりするような方向へと向かってしまうのか。時を超越して俯瞰するかのような作家の視点に、彼女は惹かれるものを感じていた。物事が過ぎ去ったあとでさえ、いや、むしろ、過ぎ去ってしまったあとだからこそ、人々は真実を悟り、また真実を語ることができるようになるのだ、と。
それは、本当のことを隠し、本当の自分を隠しながら生きてきた自分にとって、一筋の光のように思えた。一人ひとりが語る真実が、綾織のようになって、一つの史実が編まれてゆくのだ。
湖に面した窓から、春の暖かさを帯びた光が差し込んでくる。セイラは、外の世界に呼び出されている気がして、窓を開けた。
そのとき、彼女の電話が鳴った。
それから小一時間ほどたって、電話の主が現れた。セイラは自ら玄関の扉を開けて、彼を招き入れた。
「いやー、驚いたな、セイラさん。そうかとは思ってたけど、まさか、これほどのお嬢様とは」
「よしてよ、カイ。私が深窓の令嬢なんかじゃないこと、よく知っているでしょ」
カイ・シデンが目を細めた。トレンチコートにスウェットのパーカーと細身のデニムパンツを合わせてドレスダウンしている。使用人に、脱いだコートと大ぶりのスーツケースを二階の客人用の寝室に運ばせると、セイラは彼を客間へ通し、自らの手で淹れた紅茶を運んできた。
終戦後、ハヤトやアムロ、フラウ・ボゥらとともに一旦はトーキョーの避難民居住区に入ったカイ・シデンだったが、軍務に就いた期間がハイスクールの卒業に必要な単位数にカウントされたことと、成人年齢である18歳を超えていたということもあって、そこで暮らし続けることよりも、自由きままに旅することを選んだ。
「コロニー生まれのコロニー育ちなんだ。戦争なんてものがなけりゃあ、地球になんて、一生降りてくることもなかっただろうからな」軽い口調で、カイは言う。
「だからさ、いずれコロニーへ上がるにしても、その前に、この世界をもう少し自分の目で見てやろうってね」
「で、はるばるトーキョーから私の家を見に来たってわけ?」そう言うと、セイラはくすくすと笑った。
「いや、十分にその価値はあったね、セイラさんが笑っているのを見られた」
カイの顔には、安堵の表情が浮かんでいる。
「なんかさ、ジャブローに戻った頃からずっと浮かない表情をしていたから、ちょーっと気になって」
「ありがとう、カイ」セイラが笑顔を見せた。
「あのときは、ナーバスになってしまって。もう大丈夫、すっかり元気よ。それより、どうしているのかしら、ホワイトベースのみんなは?」
「実はな、セイラさん、ミライさんも、セイラさんと負けず劣らずの名家のお嬢様だったんだぜ。だけど結局、地球にいる親戚には頼らず、トーキョーで大学に行きながら、彼を待つってことになったらしい」
「彼を待つ? 彼って? 待つってどういうこと?」
カイが、盛大に体を傾けてずっこけるふりをして見せた。
「鋭そうに見えて、以外とそういうところが抜けてるんだよねー、セイラさんは。ブライトだよ、ブライト。他に誰がいるっていうんだ?」
「まあ、そうだったの。二人がそういう関係だったなんて、ちっとも知らなかったわ。待つって、いずれは結婚するってこと?」
「ま、俺はそうなるんじゃないかと思っているんだ」
カイは、ハヤトが高校を卒業したら連邦軍へ戻ろうと考えていること、そのことでフラウ・ボゥと大喧嘩したこと、などを面白おかしく話して聞かせた。
しばらくするとノックの音がして、使用人が姿を見せた。失礼、と身をかがめてセイラに話しかける。ご夕食はどうなさいますか。ご両親とご一緒に? セイラは首を振って、言った。このあと二人で外食してくるわ。
使用人が部屋を出ていくと、カイが言った。
「なんか、悪いね。気を遣わせちゃってさ」
「いいのよ、気にしないで」セイラが言った。
「ここは、本当に堅苦しくて好きじゃないの。マルセイユまでドライブして、それから食事にしない?」
マルセイユへのちょっとしたドライブと、レストランでの食事を楽しみながら、カイはここに来るまでに訪れたトルコ、イタリアのことや、このあとロンドン経由でベルファストへ行く予定であること、旅を終えたら地球を離れて<サイド6>に行ってみようと思っていることなどを話した。セイラは自分のことをあまり多くは話さなかったが、彼が旅の途中に見たこと、聞いたことに熱心に耳を傾けていた。
屋敷に戻った頃には、もう夜もすっかり更けていた。彼女はカイを寝室へ案内すると、首をかしげるような仕草をしながら言った。
「この屋敷には、客間の奥にバーカウンターもあるのよ。よかったら、休む前に少し飲まない?」
そういえば、ホワイトベースの仲間たちとは、まだ若すぎて一緒に酒を飲むこともなかった。カイ自身は嫌いではない。ここまでそうだったように、楽しい時間になるはずだ。カイは誘いに乗り、マホガニーの見事なカウンターを前に、スツールに腰掛けた。
だが、ウイスキーをダブルに注いだグラスが3回空になったとき、カイはセイラの手からグラスをもぎ取ると、言った。
「セイラさん、あまりきれいな飲み方とはいえないな。今日はこのへんにしておけば」
しかしセイラは、カイからグラスを取り返した。
「もう大人よ。飲み方のことであなたに文句を言われる筋合いはないわ」
「冗談じゃないよ、俺は酔っ払いの相手をしにここまできたわけじゃないんだ。楽しく飲めないなら、もうやめとけ」
と、ウイスキーのボトルを取り上げる。
「一体どうしたんだ? 酒がなくては話せないことでもあるのか?」
「ちょっと、疲れただけよ」ゆっくりとした口調で、セイラが言った。
「いつまで、嘘をつき続けなければいけないのか、って思うとね」
カイが、すっと眉をあげた。
「それは、俺たちが本当はホワイトベースで戦ってた、ってことを言っているのか、それとも‥‥、セイラさん、あんたが実はシャアの妹だってことを、言っているのか」
セイラが、ビクッと体を震わせた。しばしの沈黙のあと、静かに答える。
「両方よ。ここにいても、ホワイトベースにいたときも、私はいつも自分を隠していて」
そのときカイは、彼女の目から流れ落ちる涙を見た。
「誰に対しても、正直にはなれない」
カラン、と空になったロックグラスの中で、氷が音を立てる。
「そんなことはないさ、セイラさん。少なくとも今、俺の前では正直になれてる。そうじゃないか?」
彼女は項垂れて、小さく首を振っている。
カイは自分のグラスに琥珀色の液体を注ぐと、言った。
「俺はこれから、ベルファストに言って人探しをしようと思っているんだ。もし良かったら、一緒に来て、手伝ってくれないか?」
セイラは顔を上げると、言った。
「それって、どういう意味?」
「裏も表もない、言った通りの意味さ。気分転換になるし、それに‥‥俺といるとき、正直でいられるっていうならそれもいいんじゃないか、と思ってさ」
「酔っているのよ。まともに考えられないわ」
「だからこそ、正直になれるんじゃないのか? 行きたいって思うなら一緒にくればいいし、無理だっていうなら、断ればいい」
「ええ、わかったわ」セイラが、手のひらで頬の涙をぬぐうと、言った。
「一緒に行くわ。人探しを、私にも手伝わせて。いいわね?」
カイが、うなずいた。
空港のロビーには、思いの外多くの人がいて、久しぶりの再会を喜びあっている姿があちこちで見られた。戦争でずたずたにされた航空路線も、徐々に回復してきている。ちょっと、ぶらぶらしてくるよ、とセイラに声をかけると、カイは周囲を見回しながら歩きはじめた。私はそこのコーヒースタンドにいるわ。セイラはそう言って手を振った。
カイはカメラを手に、目的もなく歩き回った。急足の人、ゆっくり歩く人、笑顔と別れ、さまざまな人の表情。平和だ、と彼は思った。戦場から戻って3ヶ月余り、彼はようやく、自分の中にも日常を取り戻しつつあった。
ロビーに戻ると、カイはセイラのいるコーヒースタンドの方に目を向けた。彼女はコートを脱いで隣のスツールに置き、ゆったりと足を組んで腰掛けている。濃い紫色のシルクのブラウスに、ゆったりした亜麻色のフレンチスリーブのニットベストを合わせ、腰に黒いベルトをつけている。ベルトとあわせた黒いスカートからは、驚くほどに白い足が伸びている。胸元には薄いベージュのスカーフをゆるくネクタイのように結び、頭にはブラウスと色を合わせたベルベットのベレー帽をかぶっていた。
その姿に、カイはなぜか目を離せなくなった。何を思い、何を見つめているのだろう。そこにいながら、まるで一人だけが切り離された別の空間にいるようだった。その姿を切り取りたい。ふと、そんな衝動に駆られ、カイはカメラのシャッターを切った。
その音に気づいたセイラが、カイを見て笑顔を見せた。彼女の方に近づくと、カイは言った。
「お美しいお姿に、つい見惚れちゃってね」と、撮った写真を見せる。
「セイラさんは元気だって、ホワイトベースのみんなに、送ってやってもいいかい?」
「お好きにどうぞ」彼女は気のない返事をした。
旅客機のシートに身を預けると、セイラが尋ねた。
「ベルファストで人探しだって言っていたわね。誰を探すの? ホワイトベースが基地に入ったことがあったけど、そのことと関係あるのかしら」
「あ、ああ‥‥、ベルファストからジャブローへ向かう途中でさ、俺が、ミハルがいなくなった、って言ってたの、覚えてるかい」
「密航者だった、って、アムロが言っていた、あのこと?」
「スパイだったんだ。ベルファストで会った‥‥」
カイは、ホワイトベースがオデッサ作戦の後にベルファスト基地に入ったとき、街で出会った少女のことをセイラに話した。両親を戦災で亡くしたあと、幼いきょうだいを養うために、ジオン軍のスパイとして活動していたこと、軍を抜けるつもりで街へ出た時、彼女と出会い家に誘われたこと、しかしホワイトベースが攻撃されているのを見ていられなくなり、基地に戻ったこと、その砲撃のすきに、彼女がスパイとして乗り込んでいたこと。
「大西洋上に出てからも、ジオン軍につけられて攻撃されただろう? あのとき、ホワイトベースの情報を漏らしたのは、彼女だったんだ。だが、あの船の中で、ちびっ子三人組が必死で防戦しているのを見てしまってな‥‥、自分のせいで、こんな目に遭わせてしまった、だから自分も戦いたい、なんて言い出してさ」
「それで、ガンペリーで出撃したとき、一緒に?」
カイが、頷いた。ただ、操縦席の横にいて、ミサイルの発射ボタンを押すだけだ。そう思っていた。だが、直撃を受けて発射ボタンが作動しなくなった。彼女は攻撃を続けるためにカタパルトへ降りて行き、ミサイルのすぐ横にある発射レバーを操作した。ミサイルは敵機に命中したが、彼女はそれっきり、2度と姿を現さなかった。
「知らなかったわ、そんなことがあったなんて」
「今まで、誰にも言わなかったからな」カイが笑った。
「それ以来、ずっと気になってたんだ。ミハルのきょうだいのことが。姉が戻ってこないままで、無事生き延びているのかどうか」
カイはそう言うと、肘掛けに乗せた手をぐっと握りしめた。セイラは何も言わずに、ただその拳にそっと自分の手を重ねた。
ベルファストに到着するとレンタカーを借り、カイはセイラとともに、記憶を頼りに、ミハルの住んでいた丘の上の一軒家を訪ねてみた。家は、すぐに見つかった。扉は開いていたが、中には誰もいなかった。わずかな家財道具はそのままで、引っ越した様子もない。埃が積もって荒れ果てた様子が、長い不在を物語っていた。
二人は居間や二階の寝室などを見て回り、二人の子供、ジルとミリーの身元や行方がわかるようなものがないか、探してみた。が、何も見つからなかった。
日没が、近かった。二人は家を出ると丘を下って市街地へ戻り、ホテルにチェックインすると、食事に出かけた。
次の日、セイラの提案で二人は市の福祉事務所に出向き、そこで市内にある児童養護施設や戦災避難民の収容施設のリストをもらった。戦地から戻ってきた帰還兵や、疎開先から戻ってきた家族は、みなこのようにしてリストをもらい、施設を巡っているという。申し訳ありません、とにかく爆撃や何やらで混乱していた時期があって、と職員は言った。誰がどこへ収容されているか、きちんとした名簿がないもので。
ずさんだな、とカイは思ったが、彼にとってはその方がありがたかった。ミハルとは、血縁もなければ何の関係もない赤の他人だからだ。そんな彼が、なぜ彼女のきょうだいを探すのか、変な詮索を受けずに済む。
しかし、ことはそう簡単ではなかった。戦災避難民の収容施設は、爆撃で家を失った人たちが暮らす仮設の住宅で、市内各地に散らばっている。一軒一軒たずねて回るだけで、丸一日がつぶれた。
次の日、二人は児童養護施設を回ることにした。こちらの方は、数もそう多くはないし、たやすそうに思えた。だが、すぐに、こちらの方が障壁が高いことが明らかになった。ジルとミリーの名前を告げると、名簿を調べて入所者かどうか教えてくれたのは一か所だけで、あとは、門前払いの状態だった。まず最初にIDカードの提示を求められ、きょうだいとは何の関係もない第三者だとわかると、何も教えることはできない、と門を閉ざされた。なんでも、戦災で子供を失った親と戦災孤児とを養子縁組させるという、半ば人身売買のようなビジネスが横行しており、関係者を名乗って施設から子供を連れ去るケースが後を絶たないのだという。
結局、リストにあったすべての施設を訪ねたが、ジルとミリーについては何の情報も得られなかった。
「もう少し、範囲を広げて探してみる?」
セイラの問いかけに、カイは首を振った。
「子供二人だけなんだ、そんなに遠くへは行っていないだろう。それに、もし施設に入っていたとしても、それさえ教えてもらえないんじゃな、どうしようもないよ」
車の運転席で項垂れるカイの肩に、セイラはそっと手を置くと言った。
「でもカイ、あなたのやったことは、決して無駄じゃなかったと思うわ。彼女はきっと、あなたがそしてくれると思っていたんじゃないかしら。だから最後にもう一度、あの丘の上の一軒家に寄って行かない?」
「ありがとう、セイラさん」
そう言うと、カイはエンジンをかけ、街はずれの丘の方へハンドルを切った。
丘の家の一軒家の前で車を降りると、カイはそこから市街地を見下ろした。あのときと同じ夕暮れが、ベルファストの港を赤く染めている。その場に腰を下ろし、言葉もなく夕日を見ていた。
セイラがやってきて、彼の横に腰を下ろした。カイは、そこから見える港の一角を指差した。
「あそこだ、あそこにホワイトベースは停泊していたんだ」
あの日の夕暮れ時、停泊しているホワイトベースを狙って、ジオン軍が攻撃を仕掛けてきた。何をぐずぐずしているんだ、といてもたってもいられなくなって、彼はもう戻らないつもりでいたホワイトベースへ戻っていった。あの砲撃の最中、ミハルは船に潜り込んだのだ。砲撃はむしろ、スパイを潜り込ませるための陽動だったのかもしれない。
カイは、顔を伏せると肩を震わせ始めた。
「俺の、せいなんだ。彼女が死んだのは‥‥、これが戦争なんだ、仕方がないと思ってだけど‥‥そうじゃない、俺が、俺が彼女を殺したんだ」
「カイ‥‥」
「わかってた、ミハルがスパイだってことは。だけど俺は船の中で彼女を見つけたとき、ブライトに報告しなかった。どうせ基地を出てしまえば、連絡なんて取れっこないって、たかを括ってたんだ」
「ブライトに報告していたらいたで、ただでは済まなかったわ、そうじゃなくて?」
カイが顔を上げた。
「もちろん、そうだ。ブライトは彼女を独房に入れて、見張りをつけただろう。そうすれば敵と連絡を取ることはできなかったし、敵が攻撃してくることもなかった」
「それは、結果論よ」
「だが、起こったことは、俺の慢心が招いた結果だ」
そう言い捨てると、また、彼は顔を伏せる。
「戦争のせいじゃない、俺の、俺のせいなんだ‥‥」
セイラには、かける言葉もなかった。嗚咽をもらす彼の背中にそっと手を置いて、彼女は目を閉じた。
「どうかされましたか?」
突然、女性に声をかけられて、セイラとカイは顔を上げた。修道服を身につけたシスターが、心配そうに腰をかがめて二人を見ていた。
「体の具合を悪くされたのでしょうか?」
「いいえ、何でもありません」と、慌ててセイラが答える。
「そうですか、とてもそんなふうには見えませんけれど」
シスターは眉根を寄せて、まだ心配そうな表情を変えなかった。カイは嗚咽をこらえて、黙りこくっている。セイラは立ち上がると、笑顔を見せた。
「実は、彼の友人のきょうだいを、探し回っていたんです。友人が戦争に巻き込まれて亡くなってしまって、幼いきょうだいだけが残されたのを、ずっと気にかけていたので。数日かけて探し回ったんですが、見つけることができなくて」
「まあ、そうだったんですか。でも、なぜここに?」
セイラは、背後の一軒家を指差して、言った。
「その友人ときょうだいは、ここで暮らしていたと彼が言うので、訪ねてみたんですけど‥‥」
「まあ」シスターが、驚きの声を上げる。
「そのご友人のきょうだいというのは、ジルとミリーではないかしら?」
カイが、目を大きく見開いた。
「知ってるんですか?」
「ええ、この丘の向こうの修道院の施設で、一緒に暮らしているんですよ。ご案内しましょうか?」
カイが、すくっと立ち上がると言った。
「いいんですか? ぜひ、お願いします」
修道院の一角にある、古びた煉瓦造りの礼拝堂で、カイとセイラは、シスターに連れられてやってきたジルとミリーと対面した。二人は恥ずかしそうに、シスターの後ろに隠れてちらちらと二人を見ていたが、カイのことを覚えているかと聞かれると、大きくうなずいて、言った。
「姉ちゃんがね、この人のこと、追っかけてた」
「それでね、遠いところに仕事に行くから、って言って出かけて行って、そのままずっと、帰ってこないんだ」
カイはその言葉を聞きながら、唇を噛み締めている。
もうすぐ夕食の時間だから、とシスターは二人を部屋へ帰すと、カイとセイラに椅子をすすめ、自分も腰掛けて言った。
「ミハル・ラトキエさんは、亡くなられたとおっしゃいましたね。どんな最期だったのか、お話してくれますか? 私から、ジルとミリーに話して聞かせますから」
セイラは、カイがシスターにミハルと出会った経緯から、彼女が命を落とすまでのことを話すのを、隣で聞いていた。旅客機の中で話したときのように、しっかりと、彼は話した。そして、付け加えた。彼女を死に追いやった責任は自分にもある、ずっと、そのことを悔やんでいる、と。
彼が話終わると、シスターは言った。
「正直に、お話ししてくださって、ありがとう。ミハルさんのことは残念だけれど、今はご両親とともに天国で穏やかに過ごしていることでしょう。ジルとミリーは、こんなふうに言っていました。お姉ちゃんは約束してくれたんだ、この仕事が終わったら、みんなで戦争のないところへ行こうな、って。一足先に、彼女は安心できる場所へ行ったのです」
「信じて、いいんですか」
「ええ」と、シスターは笑顔で言った。
「あなたがたにも、神のご加護がありますように」
別れ際に、シスターは二人に言った。もしよかったら、明日もう一度、ここへ来られませんか。彼女にお別れをしてあげてください、と。
翌日、カイとセイラは再び修道院を訪れた。シスターが、ジル、ミリーとともに二人を出迎えてくれた。二人の子供は、花束を抱えている。
「では、行きましょうか」
シスターはそういうと、二人を、しばらく歩いた先にある墓地へ案内した。市街地を見下ろす高台にあり、簡素な作りの十字架が、港に向けて立ち並んでいる。
ジルとミリーが先をゆき、一つの墓の前で立ち止まった。カイは墓碑銘に刻まれた名前を見た。デレク・ラトキエ、エドナ・ラトキエ。ミハルの両親の名が、そこには記されていた。
ジルとミリーが、花束を墓前に捧げた。シスターが、ひざまづいて祈り始めた。
‥‥天の父なる神様、あなたの御名をほめたたえます。
‥‥ジルとミリーの姉、ミハル・ラトキエが、戦争で命を落としたことを、知らせてくださりありがとうございます。
‥‥今、彼女が天の父のみもとで安らかであることを信じます。
‥‥どうか残されたジルとミリーの上に、神のご加護がありますように。
‥‥ミハルの最期を知らせ、そのきょうだいを探してくれたカイとセイラにも、神の導きがありますように‥‥‥‥
シスターの、静かな、伸びやかな声は歌に変わった。風に乗って、その歌声は空へと流れてゆく。
Amazing grace!(how sweet the sound)
That saved a wretch like me!
I once was lost but now I am found
Was blind, but now I see.
‥‥失われていた私が、今は見出され、
‥‥見えなかった私が、今は見ることができる
セイラは、墓前にひざまづいて肩を震わせているカイの背中を見ていた。誰に対しても正直になれない、と泣いた私に、彼は見せてくれたのだ。真実を語ることの勇気と、それがもたらす恵みとを。
そして彼女は、アムロのことを思った。
帰路に着くため、ベルファストの空港まで来たとき、カイが言った。
「セイラさん、俺、もう少しこの街に残ることにするよ。あの子たちとも、もうちょっと親しくなっておきたいし、これからどうするのか、自分のことを考えたいんだ」
「ええ。ありがとう、私を連れて来てくれて。私も、自分はこれからどうするか、考えてみたいって思えてきたわ」
よかった、とカイがうなずいた。セイラは笑顔を見せると、言葉を続けた。
「最初に出会ったとき、あなたのことを軟弱者って言ったけど、もう、違うわね。私、わかったの。本当の強さは、目に見えないものだって」
カイは、照れた様子で頭に手をやった。
「ところでセイラさん」と、おどけた表情を見せる。
「アムロとは、連絡取ってんの?」
「えっ」
突然、彼の話題を振られたことに、セイラは狼狽した。
「‥‥ど、どうして?」
「セイラさんがジャブローを出発するとき、あいつだけ見送りに来なかっただろ? ちゃんと、別れの挨拶したのか、と思ってさ」
「前の日に、したわ。それっきり」
なにやってんだ、とカイは思わず口にしそうになったが、黙っていた。
「それが何か?」
「いや、何でもない」
ありがとう、それじゃ、また。そう言うと、セイラは空港の出発ゲートの向こうへ消えていった。
その夜、ホテルの一室で、カイはコンピュータの画面を立ち上げて、読み込んだセイラの写真を眺めていた。誰に対しても正直になれない、と彼女が言ったのは、どういう意味なのだろう。実家の裕福さも、実はシャアの妹だということも、彼女はカイに対して、特に隠し立てする様子もなかった。だが別れ際、アムロのことを聞いたとき、いつも凛としている彼女が、あきらかに狼狽えていた。確かに、アムロには正直になれないかもしれない。シャアは言ってみれば、彼にとっては宿敵だった。当然カイとは、受け止め方も違っているだろう。
それを恐れて、正直になれない、ということなのだろうか。
「損な性分かもしれないけど、なんか、ほっとけないんだよね」
そんな独り言をもらすと、彼はアムロに宛ててメールを書いた。今、ベルファストにいる。気ままにあちこちを旅行して、フランスで、セイラさんにも再会した。彼女は元気だ、だがおまえは最後に見送りに来なかっただろ、そのことを気にしているみたいだった。おまえも何か、言い残したことがあるんじゃないのか? 写真は俺が写した彼女のポートレートだ。ホワイトベースのみんなに送っていいか?と聞いたら彼女がいいと言ったので、おまえにも送るよ。ついでに、連絡先もな。
送信のボタンを押すと、彼は画面を閉じて、どさっとベッドに身を投げ出した。これで何も行動を起こさなかったら、アムロ、俺はおまえに「軟弱者」の称号を譲ってやるよ。そう、セイラさんも言っていた。
本当の強さは、目に見えないものだから。
〜Fin〜
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