不文法の非合理性
「電車で化粧するのはだめ。なぜなら化粧する時点で周りの人を慮る視点が欠けているから」という言説がバズっていたが化粧嫌いとしては納得がいかない。不必要に化粧を強制してくるルッキズム社会は免責を免れて無駄な時間を短縮しようとする私たちが責められるのはなぜなのか。自分が我慢しているからお前も我慢しろ理論は嫌いだ。あいつが我慢してないなら俺も我慢しなきゃいいや、でいいだろ。なぜ常にこちら側が変わらないといけないサイドの前提なのだ?だいたい1席に収まるようにメイクする分には迷惑では無いと思う。
日本人女性のよく分からないところは大多数の女性が仕方なく、社会のルールだからとメイクをしているのにも関わらず仕方なく流される方向に流れ、メイク強制をなくそうという動きにエネルギーを費やさないところだ。
車内で化粧したぐらいでごちゃごちゃ言ってくる人間には海外に行って発狂でもしてほしい。足を座席に乗せたり、寝たり、歯磨きをしたりしないだけでも感謝されるべきだ。
そもそも私がこれに反発するのはメイクの時間が無駄だと思っているからだ。無駄には時間を費やしたくない。それを電車でコスパ良くやって何が悪い。日本人のよく分からないところは合理性に欠けたルールを大量に作って自分の首を絞めているところだ。なぜなら「化粧を電車内でするのはマナー違反だ」という概念を作らなければ電車内で化粧をする人が目につかなかったはずだ。気にするから気になるのだ。それを勝手に気にしてる方も悪いのにごちゃごちゃ言われるのは納得がいかない。何も気にしないこちらからしたら勝手に気にしてルールを作り、ルールを貼り出してる訳でもないくせに守れ⁉️と血走った目で勝手に怒り狂っているのは正気の沙汰ではない。
私は以前神経質な家族に「水の栓をしめろ。ぽたぽた水が落ちているぞ!」という意味不明な注意を受けたのだがめんどくさいので気にするようにしたらそれ以来水のぽたぽた音が気になってしょうがなく、なんてめんどくさいセンサーを身につけてしまったんだと酷く後悔した。なぜなら水がぽたぽた落ちるのを止めるくらいでは水道代の節約にならないのに気にしても意味が無いからだ。
そもそも車内に明確に「メイク禁止」と貼られているわけでもないので書かれてないルールを守ってないことを責められる義理はない。
ちなみに私は車内でメイクしたことはないので悪しからず。