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反省文

 財閥の一人娘として産まれた彼女にとっては、それは自然な振る舞いであったのだけれど、ごく一般的な感覚から言えばそれは傍若無人、傲岸不遜、まあとにかく誉められたものではないし、非難されてしかるべきものであった。
 まあ、それはちょっとした事件になった。テレビでは連日そのことが取り上げられたし、ゴシップ紙は軒並み大喜びであることないこと記事にした。
 まあ、そういうものだ。彼女としてもそんなことは慣れっこなのかもしれない。彼女はいわゆるセレブだ。まあ、そういうものなのだろう。
 彼女は日頃からその行いが悪かったから、その事件について大目に見てやろう、という人は当然皆無で、彼女の両親の力を持ってしても燃え上がったものは鎮火できず、かなり厄介なことになって、場合によっては裁判沙汰、悪ければ臭い飯を食べる羽目になりそうである。それだけ彼女は恨みをかっていたのだ。
 まあ、そういうことだ。あるいは、彼女の両親もまた恨みをかっていた可能性はある。まあ、そういうものだ。
 そして、実際に裁判になった。世間の見張る目は厳しくなっているから、裁判官に賄賂は送れない。もし送ったとして、無罪放免になったとして、果たして世間は許してくれるだろうか。そんなもの知ったことかと高を括れるだろうか。外国に逃げるのも一つの手ではある。しかしながら、彼女の一族はその土地に根付いた存在であり、財閥の基盤はまさにそこにあったのだ。そして、それを継ぐのならば、彼女はそこを離れられないし、そこの世間に嫌われたままではいられない。顔の無い恐るべき人々。
 彼女は反省文を書くことにした。そして、それを新聞広告として、その国で発行されている新聞全紙に掲載したのだった。右も左も、どんな主義主張の新聞にも。もちろん、新聞広告を出すという行為自体を責める人もいた。口ではどんなに反省を述べていても、こうして金を払って広告を出すのじゃ、結局金にものを言わせているじゃないか、と。しかし、それはごく限られた意見だった。むしろその反省文は好意的に受け入れられ、彼女を許してあげた方がいい、という意見も現れはじめたほどだ。その新聞広告を読んだ人たちはみな感動したのだ。それは実に美しい反省文であった。誰もが彼女が悔い改めようとしているのだと考えるくらい。
 彼女の友人が彼女に会う機会があったので、それに感動したことを彼女に伝えた。
「本当に君は悔い改めたみたいだね。素晴らしい反省文だったよ」
「そうでしょう?」と彼女は答えた。「あの反省文を書いたのはゴーストライターですもの」そして、彼女が挙げた名は知らぬ人のいないほどのベストセラー作家のものだった。「これで、あの作家が名前だけで売れてるわけじゃなくて、本当に実力があるってわかったわね」


No.911

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