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タネも仕掛けもございません

 凄腕のマジシャンがいた。シルクハットからウサギを出すとか、アシスタントの体を真っ二つにするとか、そういうありきたりなものは当然のことながらお手の物。高層ビルを消して見せたり、橋を消す。タキシードの懐から象を出す。金魚をクジラに変えて見せる。そのスケールは桁外れ、他の同業者たちは自分の影が薄くなると結託し、殺し屋を雇ってそのマジシャンを抹殺しようとしたが、その殺し屋はマジシャンの手で猫に変えられ、その殺し屋を雇った同業者たちはハツカネズミに変えられたという話がまことしやかに流布するほどであった。
 このマジシャンの評判を聞き及んだ大富豪は、早速邸宅に招いた。世界の富を独り占めするような大富豪である。鉄道、新聞、鉄鋼業、ホテル、ありとあらゆる産業となんらかのつながりを持ち、三歩歩けば大富豪の関係する何らかに触れることになるほど、すべてに影響を及ぼすほどの大金持ちだ。その大富豪がマジシャンを招きショーをさせることにしたのだった。
「タネを見破ってやる!」と、大富豪は意気込んだ。この大富豪、とにかく、負けず嫌いである。
 あなた様の目にかかっちゃ相手も堪らんでしょう?いやいや、そうかね。ガッハッハッハッ。お追従をする連中とのこんなやり取りが何度となく繰り返され、いよいよマジシャンがショーを行う当日になった。
 大富豪の邸宅の広大な庭にはマジシャンのために特設ステージがしつらえられた。
「思う存分やってくれたまえ」大富豪はマジシャンに言った。「まあ、その代わり、タネを見破られても恨まんでくれよな」ガッハッハッ。肩をすくめるマジシャン。
 そこには大富豪が招待した者もいれば、まったく関係の無い者もいた。大富豪がショーを無料で公開することにしたため、評判名高いマジシャンを一目見ようと多くの人々が会場に詰めかけたのだ。もちろん大富豪は最前列に陣取っている。「さあ、ショーを始めよう!」大富豪が合図を送り、幕が上がった。怒濤のような拍手に迎えられ、マジシャンがステージに姿をあらわす。マジシャンが手を挙げると拍手はピタリと止んだ。
「タネも仕掛けもございません」と、いつもの決まり文句でショーが始まった。マジシャンの一挙手一投足に会場にいる人間すべてが注目する。もちろん一番注目しているのは大富豪だ。そんな視線の嵐の中、マジシャンはどこからともなくウサギを一羽取り出した。それは気付いた時にはマジシャンの左手の中にいた。マジシャンが右手に持っていた布をウサギに被せ、さっとそれを取り払うと、ウサギの姿はそこに無かった。どよめく会場、ただ一人、大富豪を除いて。
「何がすごいものか。ウサギなんぞ最初からいなかった」大富豪はウサギがいたように見えたのは気のせいであり、勘違いであり、マジシャンは何も消していないと主張した。大富豪の取り巻き達もそれに同意する。しかし、他の大多数の観衆達は納得しない。どう考えてもウサギはマジシャンの手の中にいた。なによりウサギが消えた時に一番声を上げたのはあんたがその証人じゃないか、と大富豪に詰め寄る者までいた。そういう聞き分けの無い人間は黒い服を着た大男につまみ出された。反対する者がいなくなり、会場が静まると大富豪は言った。「早く手品を見せてくれ」
 マジシャンはため息をつくとステージから下り、大富豪の目の前に立った。大富豪の傍らにいたボディーガードの大男は身構える。しかし、マジシャンが人差し指を口にあて制止すると一歩も、それどころか小指すら動かせなくなった。大富豪はマジシャンをじっと見詰めた。マジシャンが布を大富豪にかけると、あっという間に大富豪は姿を消した。呆然とする観衆、大男達も例に洩れず。しかし、すぐに正気に戻り、マジシャンに掴みかかる。次の瞬間、どこからともなく声がした。「やめろ!」辺りを見回すが、声の主らしき人物はいない。「最初から私なんぞ存在しなかったのだ」それは大富豪の声だった。
 マジシャンは肩をすくめると、姿を消した。


No.448


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