指紋
「君の触れたものはことごとく」という書き出しが浮かんだのは午前三時。「棄ててしまうことにしました悲しいから」布団にくるまり寝付けないでいる時。
実際に指紋たちが騒ぎ出したのは午前三時半。それはグルグルグルグル渦を巻き、見ていると呑み込まれそうになる。だからきつく目を閉じた。チカチカと星が飛ぶくらい。しばらくそうしていたけれど、疲れたからやめた。
「君の触れたその指紋たちが」という続きが浮かんだ。「夜毎に輝きながら狂騒するのです」布団を被っても、指紋たちが放つ光を遮ることはできなかった。
「君と訪れた所はどこだって」という一文が浮かんだのは午前四時。「二度と行かないことにしました悲しいから」指紋たちはついには音を立て、自分たちに注目せよと訴えてくる。「いたるところで君の足跡が騒ぐから」
たぶん、足跡たちもじきに騒ぎ出すに違いない。そう思った。耳をふさいだ。それでも、指紋や足跡の騒ぐのが聞こえた。朝が来るのをひたすら祈った。何もかもを棄てて、何処にも行かないことにしようと本当に心に決めた。そうして、世界を狭めて行くのだ。最後には、細い糸の上を歩くように生きて行こう。それすら無くなったら、もう地上に居場所はない。全てを棄てた身軽な体でなら、ふわりと空に舞い上がれるだろうか?
目が覚めたのは午前十一時。鳥は囀ずったりしなかったけれど、よく晴れた日だった。指紋たちも、足跡も、もう騒いだりはしなかった。世界に日常が戻り、それは静かで平和だった。それが少し寂しくもあったけれど。
欠伸をし、伸びをした。
「眠たくなっちゃった」
そして布団に潜り込み、二度寝をすることにした。浮かんだ言葉たちは、書くのが面倒だったから結局書かなかった。言葉たち、どうか許して。