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賢い竜たちのした選択

 かつて、地上は賢い竜たちのものだった。彼らはほんの数頭しかいなかったのだけれど、彼らは巨大で、屈強で、軽々と空高くを飛んだし、日の光の届かないような海の深くまで潜ることもできた。あまつさえ、炎を吐くことまでするのだ。他のどんな生き物たちが束になってかかっても絶対に敵わない。そんな存在である賢い竜たちを、他の生き物たちは畏怖の眼差しで見たものだった。虫も、魚も、鳥も、犬も猫も。そして、もちろん人間たちも。
 人間たちは他の動物たちよりもより一層賢い竜たちのことを恐れた。人間たちには人間たちなりに、自分たちは賢く強いという自負があったからだ。しかしながら、賢い竜たちは人間たちも明らかに賢く、強かった。
 そこで、人間たちは賢い竜たちは邪悪な存在だと思うことにした。賢く強いかもしれないか、竜たちは邪悪である。邪悪で、残忍で、暴虐で、野蛮だ。ルサンチマンというやつである。手の届かないところになっているブドウが甘かったらやっていられない。あれはすっぱいからいらないということにしないとやっていられない。
 賢い竜たちは邪悪でもなんでもなく、もちろん生き物であれば気分の波もあるもので、ときには邪悪な気持ちになることもあったかもしれないが、おおむね穏やかな性格だった。なにしろ賢い竜たちである。賢さというのはそういうところに如実にあらわれる。偏差値や出身大学などなどではない。
 賢い竜たちには人間たちの気持ちがわかった。わかったので「ああ、それはルサンチマンってやつだね」みたいにしたり顔で指摘することもないし、顔を真っ赤にして誤りを正そうなんてこともしようとはしなかった。人間たちの好きなようにさせたのである。サービス精神旺盛なものになると、邪悪で残忍な竜を演じて見せるものまでいて、お姫様をさらったり、世界を支配しようとするふりをしたりまでした。
 人間たちは恐れおののき、必死で竜と戦った。賢い竜たちにはそれが悪趣味だと不評だったのだけれど。まあ、竜たちにもいろんな竜がいるものなのである。
 さて、時代をへると、人間たちはより強力な武器を使うようになってきた。剣で戦っていたものが銃をぶっ放し、爆弾や戦闘機や戦車が登場した。これは別に人間たちが賢くなったというわけではない。より強力な武器を作れるようになることは賢さとは比例しない。少なくとも、賢い竜たちの考えではそうである。
 人間たちはそれを竜たちに向けても使ったが、人間同士でも使うようになった。もちろん、人間たちにもそれはよくないことだと反対するものもいた。まあ、人間たちにといろんな人間がいるのである。しかし、そうしたドンパチは収まることがなかった。いつもどこかで銃声が鳴り響き、どこかで人が殺された。武器が強力になればなるほど、その効率は上がり、簡単にたくさんの人を殺せるようになった。ある人間たちはそれが人間たちの賢さが増したためだと考えた。まあ、いろんな人間がいるものである。
 賢い竜たちにとっては、そんなものは子どもだましであり、簡単に一捻りできるものだった。なにしろ、賢く、強い竜たちである。銃弾などでは傷つけられなかったし、戦車なんて簡単にペチャンコにした。しかしながら、人間たちがそれを使って大騒ぎするのにはうんざりしてしまったのだ。
「もうあのどんちゃん騒ぎには付き合いきれない」
 そこで、賢い竜たちはこの世界から姿を消すことにした。別に、自ら死を選び、種を途絶えさせ、滅亡する道を選んだのではない。忘れてはいけないのは、彼らは賢い竜たちなのだ。もっと賢いやり方を心得ている。
 彼らは物語や、絵の中にその住処を定めることにしたのだ。そこは静かだし、ある意味では無限である。やってくるのは、彼らに会うことを望む人だけだ。そこで、賢い竜たちはいまも静かに暮らしている。




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