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消える

 ある日突然人が消えてしまうのが当たり前になっていたから、席替えで隣になったばかりの同級生がその翌日からいなくなっても別に驚かなかった。
 笑顔の素敵な子だった。太陽みたいに眩しい笑顔をする子。
 先生も、他の同級生たちも、そもそもそんな子はいなかったみたいな感じだった。その空席になっている机を見るのも憚られた。不在を意識するのは存在したからだ。何も無かったように過ごすこと。疑問を持つような素振りを見せたら、自分まで密告されかねない。そうやって消えた人達がたくさんいた。
 消える。人が簡単に消える。まるで、水たまりが蒸発して消えるみたいに。
 肉親であっても、信用できなかった。だいたいは家族もろとも消えていたのだけど、中にはお父さんだけ消えていた子もいた。それは、つまり、そういうことなんだと思う。忠誠を示すということ。巻き添えを食わないということ。裏切り? 違う。生存戦略だ。生きるために必要なこと。違う。消えないために必要なこと。
 その消えた同級生とわたしは、元々家が近かったこともあって、一緒に下校したりして結構仲が良かった。だから、席替えで隣の席になった時にはお互い喜んでいた。でも、結局、その子と隣り合って授業を受けることは無かったのだ。
 そもそもそんな子はいなかったから。
 その子が消えた日、わたしはその子の家の前を通ってみた。結構立派な家だった。お父さんがお役人で、なかなかの地位にいるということだった。
 家はもぬけの殻だった。立派な家の中には立派な家具あって、それらは自分たちの持ち主の帰って来るのを待っているみたいだった。まるでどこか旅行に出たみたいな感じだ。それは一時的な中断であり、再開が約束されている、そんな感じ。うっかりわたしも待ってしまいそうになる感じ。寂しかったけど、わたしは泣かなかった。だって、泣く理由がなかったから。誰もいなくなってなんかないし、だから寂しくなる理由もない。
 これは嘘だ。
 わたしは涙を流してしまった。それを見咎められ、わたしも消えたのだ。わたしも彼らの仲間だと見なされたのだ。
 わたしは消えてしまった。というか、そもそもわたしは存在しなかったのだ。だから、寂しくなんてなれないし、涙も流せない。
 だから、この文章だって、存在しないのだ。
 もしもこの文章が存在するかのように振る舞えば、消える。


No.895

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