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見世物小屋の幽霊

 ぼくの生まれ育った土地は主要な街道からだいぶ外れた田舎の寒村だったから、外部から人がやって来ることは極めてまれで、貧しく、そしてこれがぼくたち子どもたちにとって問題だったのだけれど、とても刺激に乏しかった。山も海もふんだんにあったけれど、それを楽しむのは都会の人間だけだ。そこに住むものにとってはそれは日常に過ぎない。
 ごくごくまれに、そんなぼくらの村にもサーカスのやって来ることがあった。他での興業が不入りなときにやって来たのだろう。そうでなければ、わざわざ足を延ばすこともあるまい。
 サーカス側の事情がどうであれ、それはぼくたち子どもにとっては喜ばしいことだった。村中の子どもたちが親にせがみ、サーカスのチケットを手に入れようとしたものだ。
 空中ブランコ、ナイフ投げ、ピエロ、猛獣使い。通り一遍の演目でも、ぼくらは目を輝かせ、ひとつひとつに大感動したものだ。すべてが夢の中の出来事のようだった。
 そのときのサーカスも、ぼくらの熱狂をもって迎えられたのはそれまでと変わらなかったのだけれど、ひとつだけ違ったものがあった。そのサーカス団には見世物小屋があったのだ。
 その見世物小屋には、本物の幽霊がいるという。
「本物?」と、小屋の受付の少女に尋ねる。
「本物」と、少女はぶっきらぼうに答える。
 ぼくはポケットをまさぐり、自分の全財産を確認した。親にせがんでどうにかこうにか手に入れたサーカスのチケット代だ。その見世物小屋を覗いてしまったら、サーカスは見られなくなる。開演時間が迫っている。
「どうするの?」少女がぼくに尋ねた。
 ぼくは唸った。そして、少女に金を払った。
 小屋の中は薄暗かった。足元がおぼつかなくて、恐る恐る進む。少し行くと、檻のようなものがあった。猛獣なんかをいれておくような檻だ。そんな檻で幽霊を閉じ込めておけるのか疑問だった。幽霊が飛び出して来て襲われやしないか不安だった。
 恐る恐る檻の中を覗くと、人が座っている。男の人のようだ。意気消沈したかのようにうなだれている。その姿は、半透明というか、向こう側が透けて見えた。
「あの」と、ぼくは思い切って幽霊に話しかけてみた。全然生気が無くて、こちらを呪い殺したりなんてできそうになかったからだ。
 幽霊はゆっくりと顔を上げた。「なに?」
「幽霊なんですか?」と、ぼくは尋ねた。「本物の」
「ああ」と、幽霊は答えた。「幽霊だよ。本物の」
「なにをしてるんですか?」
 「さあ」幽霊は肩をすくめた。「ただ、なんだかとても悲しいだけだよ」
「死んじゃったから?」
「誰が?」
「あなた」
 幽霊はぼんやりと宙を見た。「いや、たぶんそうじゃないと思う。ただ、悲しいだけなんだと思う」
 ぼくはなんだか退屈してきたので、小屋を出た。
「どうだった?」受付の少女がぼくに尋ねた。
「幽霊だね」と、ぼくは答えた。「本物の」
「そう」と、少女はうなずいた。「幽霊。本物の」
 サーカスに入れないぼくは、手持ち無沙汰で少女と会話を続けた。少女は空中ブランコ乗りなのだけれど、へまばかりするものだからステージに上げてもらえなくなったのだそうだ。そうすると、ギャラも無くなる。ぼくは彼女に同情したけど、同情しただけだ。
 ぼくらは仲良くなり、最後にはちょっとした恋心さえ芽生え、別れ際にはキスをした。夜の気分がそうさせたのだろう。
 翌朝になると、もとからなにもなかったかのように、サーカスは消えていた。


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