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# 9 見えない世界の加害者 -ウーラ編- 2. 精神的な自立ができないワケ


前回の続


現実を知った迷子


ウーラの体調悪化の原因は
世の中のネガティブなエネルギーだけでなく
私の”依存心”がその症状を増幅させていた。

この事実を
ある日エルから知らされて
もう絶望です。

実際に叩いて攻撃していた
わけではないので

本当に私が助長させているのかと
よぎりましたけど

これまでたくさんの
見えない世界の真実を知り

現実的にその整合性を目の当たりにも
して来ましたから

往生際が悪い感じになるので
言葉にはしませんでした。

というより
真実かどうかはどうでもよくて
目を背けられない
罪悪感が襲ってくることが事実。

自分自身が腑に落ちているんだと思います。

ウーラの体調が悪くなるのを
どうにかならないものかと考え

ありきたりな食事や睡眠を
提案してみたりもしましたけど
そんなレベルではなかった。

負のエネルギーで人を傷つけていた
加害者だったわけですから
私にできることは
そんな表面的なことではなかった。

ウーラは異常なほどに感受性が強いので
ダイレクトに受けてしまうので
すぐ症状が表に出てくるのですが

私たち一般人も本来はウーラのような
ことが起きています。

もう退化しているというか
鈍感になり過ぎてしまっているので
すぐには反応がないかもしれませんが

ジワジワと
目に見えないエネルギーの影響を
受けているはずです。

私の体調不良もそうでしたが
見えないエネルギーの原因に
気づいたことが改善の第一歩でした。

私の場合はウーラとは受け方が
少し違いますけど。

要は、心と身体はひとつ。
目に見える身体の方ばかりではなく
心や、見えないモノへ目を向けてみると
早期解決ってことが大いにあり得ます。

病気のままでいたい人もいますので
本当に回復したい、という意思は必要です。

ウーラに関しては
自分がその原因の一翼を担っていたとは。

依存から抜け出すことができない自分を
否定したり責めたりもしましたし

どうすればダメージを無くせるかと
色々頭を巡らせたりもしましたが

この頃の私にできることは
ウーラを優しく気遣うことでも
罪悪感を持つことでも
考えることでもない。

本質で自立することだけでした。

でも当時は
頭では理解できるのですが
どうにもこうにも八方塞がりというか
なぜ自立できないのかと頭を抱える日々でした。

ウーラが店番をするから
私はとにかくそこには居ないこと。
散歩でもいいからといって、とにかく動かされていて
ただいう通りにするしかできることがなかった。

カフェ、ファミレス行って仕事しなさいとか
山の頂上行って来なさいとか。
(地元に徒歩40分で頂上に登れる小さな山がある)

毎日となると金銭的にも余裕ないですし
しかたなく散歩するんですけど30分が限界。

店に居ても追い出されますし
ウーラにも影響るので、出かけますけど
外に出ても何すればいいのやら。

左脳で考える癖が染み込んでいるので
感覚的なものを忘れてしまい、心が動かないのです。

本質が感覚人間なので、目的も方法も
頭で考えてもわかるわけないのです。

ウーラも含めて、他者や物に依存癖がついていた私は
前向きな意志も目的もなく
自分自身を全く理解していないので

どっちにも行けない、、という心の葛藤。
というより迷子です。
長い期間、続いていました。



やりたくないとできないは違う


そんな混乱期での
あの”素粒子事件”はとにかく焦りました。

ウーラが死んでしまうかもしれないと
思いましたから。マジかよって。

それまでは、どこかで
ウーラは強く、絶対倒れないという
根拠のない認識があったので

なんとか大丈夫だろう、と
タカをくくっていた私がいたんだと思います。

あの事件は
やばいって感じでした。

どうにかして
ブランコ降りないと、まずい。

本当に傲慢で、目の前の問題に
向き合えない根性なしでしたから
非常事態でようやくです。

自分を一番に考えて、やりたくないことはやらない。
だから、誰かにやりたくないことを
やってもらいたいという依存。

できないことは、できないですからやらなくていいのです。
できる人が代わりにやればいい。
これはお互いを尊重した生き方です。

でも当時の私は

やりたくないことは
”できるのに”やらない状態なので
単なる依存です。

自分を一番に考えて避けていた。

でもこれも
自分を大切にすることではなく
甘えですし

結果的に
自分自身に何もチャレンジさせてこなかった
いうことですから

自分自身を
成長も前進もできない人間だと過小評価していた。

自分を信用していなかったということ。
大切にするどころか
私が私を閉じ込めてしまっていた。

私が依存し、執着し、自分を閉じ込めていたことで
ウーラだけではなくて、親にも周囲の人たちにも
影響があったかもしれません。

私が依存してしまっていた原因は
これからお話ししていこうと思います。


ピッカピカの鏡


私がウーラに依存して
自立できないということは

ウーラの中にも乗り越えるべき
課題があるということ。

鏡の法則とも言われていますが

相手は自分を映す鏡。

相手は自分であり、自分は相手です。

課題は同時に、相対的に起こっています。

ただ
この世界は私が創造している世界なので
私しか変えることができませんから

現実を変えたいのであれば
私の課題を乗り越えることで
ウーラの課題もクリアできます。

物理的に手を差し伸べなくても
私が自分に向き合ってさえいれば

おのずと良好な関係が訪れるということ。

例えば
目の前に嫌な人が存在している場合や
環境などで悩んでいる場合は

答えは自分の中にありますから
しっかり自分と向き合うことで

対象の人が栄転になったり
職場のオフィスが移転したり
子供問題が解決したりと

現実が変わっていくんです。

自分の中に問題があると認識するだけでも
現実は変わります。

本当に様々な環境が変化していきます。
両親との問題もそうでした。

私は昔から、正義感が強くて
弱いものいじめが大嫌いでしたから

母をいじめているようにしか見えない父が
許せませんでした。

でもこのウーラの一件で事実を知ると
私がいじめている側にいたことに気づきます。

ということは
私が私をいじめていたということ。

続きは次回に。


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