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一見無駄だと思う慣習についての思考 #084
お疲れ様です。土曜日いかがお過ごしでしょうか?
私は先程、夫にすすめられて、YouTubeの『積読チャンネル』を流し聞きしていました。
聴いた内容は、『政治学者、PTA会長になる』という本の紹介でした。
◯PTA
日本におけるPTA(ピーティーエー、英語: Parent-Teacher Association)は、各学校で組織された保護者と教職員(児童を含まない)による社会教育関係団体。児童・生徒はPTA会員ではない。皆等しく活動の支援対象でもある。任意加入の団体。
私としては、PTAとは、面倒くさい、できれば関わりたくないという印象です。
この本の筆者は、政治学者で、あるきっかけでPTA会長となり、PTAの非効率や無駄な慣習の排除に取り組み始めます。
ところが、その取り組みにより、無駄な慣習を取り除くと、その慣習によって築かれていてた人の繋がりが失われることに気づいたとのことです。
PTAの慣習に関わらず、法事や、伝統行事、儀式などを行うことで、人との繋がりが維持されるというお話でした。
◯自分に置き換えると
先日、私と夫の親を呼んで息子の1歳の誕生日会をしました。
大人になってからは、誕生日なんて、誰にでも毎年来るので、そこまで特別なものではないなと思っていました。
そして、子供が生まれての行事である、宮参りやお食い染めも必須ではないし、無駄とまでは言いませんが、正直面倒だなと思ってやっていませんでした。
しかし、今回息子の1歳の誕生日会という儀式を行うことで、私たち夫婦と子供、夫と私の親が一同にして会う機会を作り、繋がりを維持しているのかなと思いました。
冒頭のPTAに対する賛否は今回は割愛しますが、普段気づかないことを考える機会を得たので、noteで発信してみました。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
それでは、また!